BlueNote TOKYO

'12 Bloggin' BNT by 原田和典 , FELIX CAVALIERE - - report : FELIX C...

2010/09/08

フェリックス・キャバリエ・ラスカルズFFELIX CAVALIERE'S RASCALS
フェリックス・キャバリエ・ラスカルズFFELIX CAVALIERE'S RASCALS


公演初日リポート:FFELIX CAVALIERE'S RASCALS



栄光のブルー・アイド・ソウル・グループ“ラスカルズ”の顔、フェリックス・キャヴァリエが来日しています。
明日から始まる「ブルーノート東京」公演に先がけ、9月7日「コットンクラブ」で行なわれたファースト・ステージに潜り込んでまいりました。この4月にはラスカルズのオリジナル・メンバーが集結してニューヨークでライヴをおこなったそうですが(なんとブルース・スプリングスティーンも乱入したそうです)、この公演はキャヴァリエ親子と注目のバンド“スモール・タイム・ロックスターズ”が合流した、いわば21世紀のラスカルズです。

基本的な楽器編成はフェリックスのオルガン&キーボードに、ギター、ベース、ドラムスという、ラスカルズ以来おなじみのフォーマット。そこに愛娘のアリア・キャヴァリエがヴォーカル&タンバリンで加わります。ぼくはフェリックスの音楽(ラスカルズも、ソロ活動後も)にはずっと“男くさい”、“無骨”、“逞しい”といったイメージを持っていたのですが、アリアのコーラスが加わるとサウンドはぐっと柔らかに、ふくらみを伴って響きます。

しかしフェリックスの持つパッション、ソウル・スピリットは不変です。大抵のピアノ〜オルガンの弾き語りアーティストは、椅子に座ってパフォーマンスをします。しかしフェリックスは立ちっ放しで、まるで鍵盤にくらいつくかのようにオルガンを弾き、コクのある声で次々と熱いシャウトを届けるのです。2曲目の「MUSTANG SALLY」(ウィルソン・ピケットの大ヒット曲)が終わる頃には頬を汗が伝い、スティーヴン・マンディルが会心のギター・ソロを披露すれば、オルガンのまわりをぐるぐる廻りながらダンスを始めます。

歌っているか、弾いているか、踊っているか、客席を煽っているか、MCをしているか。ステージ上のフェリックスは、気持ちいいほどこの5つの行動に専念していました。「GROOVIN’」、「A GIRL LIKE YOU」、「HOW CAN I BE SURE?」、「GOOD LOVIN’」・・・名曲が次々と出てきます。本編ラストでは、「世界の平和と幸せのために」と前置きして、あの「PEOPLE GOT TO BE FREE」を披露。先日、矢野顕子トリオが「ブルーノート東京」でこの曲を素敵にカヴァーしていましたが、フェリックスの自作自演で聴く感激はまた格別です。

それにしてもガッツにあふれたステージでした。彼から音楽をとってしまうと一体何が残るのだろう?と思ってしまったほどです。MCで「トゥーサウザンド・イレヴン!」とシャウトしていたフェリックス。精力家の彼はひょっとしたらすでに、誰よりも先駆けて先に2011年にたどりついているのかもしれませんね。

文頭でブルー・アイド・ソウル云々と書いてしまいましたが、個人的には目の色などどうでもいいです。燃えるソウルマン、フェリックスのステージをどうか、汗の飛んでくるような距離でお楽しみください!
(原田 2010/9/7)


● 9.9thu.-9.11sat.
FELIX CAVALIERE'S RASCALS

フェリックス・キャバリエ・ラスカルズFFELIX CAVALIERE'S RASCALS


'12 Bloggin' BNT by 原田和典 , ROBERTA FLACK - - report : ROBERTA...

2010/09/03

ROBERTA FLACK - ロバータ・フラック



公演初日リポート:ROBERTA FLACK


「相変わらずすごい人気だなあ、立錐の余地もない満員とはこういうことをいうんだろうなあ」、「客層が本当に幅広いなあ。祖父祖母から孫の代まで一緒に聴いて楽しめる音楽って、ありそうで実はそんなにないんだよなあ」。

ロバータ・フラックのライヴに足を運ぶたびに、ぼくはこう感じます。本当に彼女はあらゆる層に愛されています。他の登場アーティスト以上に、年齢はおろか国籍も問わないほど客席が多彩です。当日「ブルーノート東京」につめかけたオーディエンスには、デビュー当時からのファンであろう年季の入った方々もいらっしゃいましたし、クラブ・ミュージックやフリー・ソウルの流れでロバータに入門したであろう若いリスナーも数多く見受けられました。軸のブレない、筋の通った彼女の音楽が、いろんな世代を結び付けているのです。

ロバータはパフォーマンス中の写真撮影を好みませんし、ブルーノート東京で使用の許可されたアーティスト写真はン十年前のものです。つまり今現在のロバータの姿はライヴでしか見ることができないのですが、この日の彼女もシックでお洒落でした。ステージには左からバック・シンガーたち、ドラムス、ベース、キーボード、サックス、ギターの各プレイヤーが(だいたい)ヘの字型に位置し、ロバータはバック・シンガーとサックス奏者の間でグランド・ピアノを弾き語ります。ピアノの先頭は客席から向かってステージ左側に向けられています。つまり客席中央からはロバータの左側の横顔と左腕が見えるわけです。

歌声はもう、「往年のレコードと同じか、それ以上に伸びやか」といわせていただきましょう。デビュー40年を超えたアーティストがどうして今もこんなにピュアで張りのある声を保っているのか、いったいどうなっているんだと思うほどです。もちろんレパートリーは“黄金の選曲”というしかないもの。「やさしく歌って」(KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG)、「愛のセレブレーション」(TONIGHT, I CELEBRATE MY LOVE)、「愛のためいき」(FEEL LIKE MAKIN' LOVE)、「愛は面影の中に」(THE FIRST TIME EVER I SAW YOUR FACE)などが次々と、惜しげもなく出てきては客席の喝采をさらいます。

いつも質の高いショウを届けてくれるロバータですが、ぼくが見た昨日のステージでは、以前にも増して笑顔で、(彼女にしては)激しいアクションを交えていたのが印象に残りました。アルト・サックス、ソプラノ・サックス、EWI(管楽器型のシンセサイザー)、フルートを持ち替えながらプレイするアルトゥーロ・タッピンのプレイに立ち上がって手拍子をおくり、ディーン・ブラウン(デヴィッド・サンボーンやブレッカー・ブラザーズ等の共演でおなじみ)のワイルドな超絶ギターに目を細めるロバータ。その優しげな表情を見ることができるのも、ライヴならではの特典といえましょう。

他にも、スイング・ジャズ系スタンダードをファンキーにアレンジした「SWEET GEORGIA BROWN」、キーボード奏者のシェルトン・ベクトンとツイン・ヴォーカルで熱唱した「BABY I LOVE YOU」等、盛りだくさんの内容。まさしくこれは、生で体験する“ベスト・オブ・ロバータ・フラック”です。
(原田 2010/9/2)


● 9.2thu.-9.3fri.
ROBERTA FLACK



'12 Bloggin' BNT by 原田和典 , 小曽根真 - - report : MAKOTO ...

2010/08/28

小曽根 真-MAKOTO OZONE
小曽根 真-MAKOTO OZONE


公演初日リポート:MAKOTO OZONE featuring NO NAME HORSES
"Back at the Club!!"
-Favorite Selection-


アルバム・デビュー5周年、おめでとうございます!

小曽根真ひきいるオールスター・ビッグ・バンド、ノー・ネーム・ホーシズが我が国のホームグラウンドに戻ってきました。例年、日本公演のあと海外ツアーに出る彼らですが、今年は南フランスやウィーンをツアーしてから「ブルーノート東京」のステージに立ちました。「昔の曲も取り入れたスペシャルなプログラムにしたい」ということで、ライヴに先立ってインターネット上でオーディエンスからのリクエストを受け付けていたことは皆さん御存知かと思いますが、ぼくが見た初日のセットでも、リクエスト上位ナンバーからアッと驚くカヴァー曲まで、聴きごたえ、楽しさ、面白さ、迫力、すべて200パーセントのパフォーマンスで圧倒してくれました。

ラテン・フレイヴァー溢れる「JUNGLE」(サード・アルバム収録)でクラブをカーニバル状態にし、往年のカウント・ベイシー楽団を思わせる「YOU ALWAYS COME LATE」(セカンド・アルバム収録)では、大波が押し寄せるかのようなスイング感で包み込みます。といっても単なる“古典的ビッグ・バンド・サウンド”の再現ではなくて、3本のトロンボーンと4本のフリューゲルホーンのソリ(セクションの合奏)、そしてそこにサックス・セクションが絡み合ってくる箇所などは、恐らくノー・ネーム・ホーシズ以外では聴けない創意工夫なのではないでしょうか。

続いてはサド・ジョーンズが書き、彼とメル・ルイスが双頭で組んでいたオーケストラで有名になった「A CHILD IS BORN」。小曽根真はボストンに住んでいるとき、このバンドを聴きに往復8時間かけてニューヨークまで車を飛ばしたそうです。これまでオリジナル曲にこだわってきたノー・ネーム・ホーシズが、アメリカの有名バンドの定番をプレイしたことにも驚かされましたが、内容はもちろん見事なものでした。天下無敵のハイノート・ヒッターであるエリック宮城がフリューゲルホーンを手にして、柔らかな中低音をたっぷり聴かせてくれました。ファースト・アルバムからの「T FOR 2」は、中川英二郎の作編曲。彼と片岡雄三が大きくフィーチャーされましたが、ユニゾン&ハーモニー、いずれもバッチリ。トロンボーンのかっこよさが強烈に伝わるパフォーマンスでした。

小曽根真自身の最新作である『ロード・トゥ・ショパン』からのソロ・ピアノ演奏「マズルカ13番」が場内にクラシカルな風を吹かせた後、ノー・ネーム・ホーシズのメンバーが再登場し、再び灼熱の興奮を運びます。「NO SIESTA」は、もはや組曲といっていいでしょう。矢継ぎ早にモチーフが飛び出し、それがどんどん発展していくさまは、“音楽は生き物”を地でゆくものです。小曽根とベースの中村健吾がアストル・ピアソラ風パターンに沿って即興を繰り広げると思えば、突如アップ・テンポの4ビートになって池田篤が入魂のアルト・サックス・ソロを披露。つきない興奮を与えてくれます。これはまさにタイトル通りノー・シエスタ、昼寝している時間はありません。“マンボ!”という掛け声でテンポが倍になる「COCONUT MEETING」もまた、すさまじいものでした。「あんなふうにサックス・ソリをビシッとキメられるなら、死んでもいい!」と言っている社会人、学生ビッグ・バンドは少なくないことでしょう。

いまさらいうまでもないですが、ノー・ネーム・ホーシズの演奏は、とてつもなくハイ・レベルです。ものすごいテクニックがなければこうしたプレイはこなせません。が、彼らは技巧をひけらかさず、いともやすやすと演奏し、観客の体を揺らし、笑顔を運んでくれるのです。
トップ・ミュージシャンの底力とはこういうものなのか、と改めて痛感いたしました。

どうやら、毎回違うセットリストで連日行われていくようで、みなさんがご覧になるステージではどのような名曲&名演が飛び出すのでしょうか。できることなら、全ステージに居合わせてみたいものです。
(原田 2010/8/27)


● 8.27fri.-9.1wed.(8.29sun.OFF)
MAKOTO OZONE featuring NO NAME HORSES
"Back at the Club!!"
-Favorite Selection-

小曽根 真-MAKOTO OZONE


TITO JACKSON - - Interview : TITO...

2010/08/26

TITO JACKSON

TITO JACKSON


exclusive interview : TITO JACKSON

ジャクソン5、ジャクソンズの一員として音楽界に不滅の足跡を残すティト・ジャクソン。ブルーノート東京で弟マイケル・ジャクソンに捧げるステージを繰り広げた彼に、ジャクソン5時代のエピソード、マイケルへの思い、制作中の新作について、ティト・ジャクソンにお話を聞くことができました。

Q. 1
「ティト・ジャクソンが父親のギターをいたずらしたことから、ジャクソン5の歴史が始まった」という逸話があります。それをあなた御本人の言葉できかせていただけますか。

☆ TITO JACKSON (以下、☆TJ):
父はアマチュアのギタリストだった。彼はギターをとても愛していたので、他人が勝手に触ることを許さなかった。だけど僕はギターの音が大好きだったし、どうしても自分で弾いてみたくて、やがて父に隠れて楽器を触るようになった。ずっとそれは見つからなかった・・・・はずなんだが、ある日ギターの弦を切ってしまった。それが父にバレて、「私の目の前で弾いてみなさい」といわれた。僕は必死にプレイした。そのとき、彼は「オレよりもうまく弾けるじゃないか」と思ったみたいだね(笑)。次の日、自分用のギターを父と買いに行った。そのうち僕の演奏に合わせて、兄のジャッキー、弟のジャーメインが歌うようになった。僕が8歳の頃の話だよ。
マイケルは途中からグループに参加したんだ。彼は小学生の頃から、ものすごく歌がうまかった。僕らにショックを与えるほどにね。マイケルを入れたらグループはもっと良くなる。そう思った僕は早速、父親に(マイケルの参加を)提案したんだ。


Q. 2
ジャクソン5は1969年、名門モータウン・レーベルからメジャー・デビューを果たします。そのきっかけを教えてください。

☆ TJ:
ものすごく長い話になるから、かいつまんで言うと・・・モータウンの前に、僕らはすでにローカル・レーベルからシングル盤を出していた。そしてツアーもやっていた。シカゴ、フィラデルフィアと回って、最後にニューヨークのアポロ・シアターに出演して、テレビ番組の「ディック・キャベット・ショウ」で歌う話もあったんだ。だけどその日と、ベリー・ゴーディJr.(当時のモータウン社長)のオーディションの日が重なってしまった。ものすごく悩んだよ。「ディック・キャベット・ショウ」は全国ネットだし、それに出ればいろんな人の目に触れて、いろんなところからオファーが来るかもしれないと思ったからね。でも、僕らはゴーディのところに向かうことにした。オーディションを受けてみたら、彼は幸いにして自分たちのことをとても気に入ってくれて、ダイアナ・ロスのバースデイ・パーティにも招待してくれた。ゴーディのプール付きの家を貸した大パーティで、僕らは歌うチャンスを得た。マーヴィン・ゲイ本人の前で、彼の歌を歌ったんだよ(笑)。まだモータウンと契約していなかったのに、もうすでにファミリーになったような気分だった。だけど、あとで聞いたところによると、ジャクソン5を契約するにあたって、モータウン社内でも意見が分かれたんだってね。僕らはまだ未成年だったし、法規制、労働基準法が(大人の場合と比べて)厳しいからね。夜中に働くこともできないし・・・。ゴーディも迷ったみたいだよ。モータウンの未成年はスティーヴィー・ワンダーだけで十分じゃないかと(笑)。だけどスタッフがゴーディに僕らを強く推してくれた。「彼ら(=ジャクソン5)はサムシング・ディファレントを持っている。だからこのチャンスを生かすべきだ」ってね。そして最終的にモータウンのアーティストになったわけさ。

TITO JACKSON

→ パフォーマンス&メッセージ映像はこちらから
→ ライヴ・レポートはこちらから


Q. 3
インディアナ州生まれの少年たちが、たちまち世界的なポップ・スターとして名声を博し、多忙な毎日を送るようになりました。その状況の変化をどのように感じましたか?

☆ TJ:
楽しかった思い出しか残っていないね。毎日、ディズニーランドにいるようだったよ! 憧れのテンプテーションズ、ミラクルズ、マーヴィン・ゲイなどがいるモータウンと契約して、ラジオをつければ自分たちの曲がガンガン流れてくる。素晴らしいとしかいいようがない経験をさせてもらった。当時、僕は14歳だった。普通の14歳だったら学校に行ったり友人と時間を過ごしたりパーティをやったりして楽しい毎日を送るだろう。でも、僕はそれを全然うらやましいとは思わなかった。僕たちは本当に音楽が好きだし、一生懸命仕事をして、それに見合うだけの成果を得ようと努力するだけだった。「自分から音楽を失うことはできないし、ずっと音楽を続けていく」と、その頃から強く思っていたんだ。


Q. 4
ステージでもプライベートでも、いつも兄弟一緒に行動していたとうかがっています。兄弟げんかが起きたときは、どうなさったのですか?

☆ TJ:
僕らは子供の頃から一緒にずっと仲良く暮らしてきた。男兄弟6人で3台の小さなベッドをわけあって育ったんだ。ジャクソン5のツアーには車を使ったんだけど、機材を積むスペースが必要なので、シートが取り払ってある。僕らに用意された場所は機材の隙間だ(笑)。みんな小さくなって、じっとしながら次のライヴ会場にたどり着くのを待つわけさ。1時間やそこらの話じゃないよ、8時間や10時間、移動が続くこともあるんだ!
そんな日々が続くと、自然にお互いをサポートしあうようになる。どう考えても争いが起こる状況にはならない。それに僕らは「ライヴをパーフェクトな状態にする」ことを常に考えていた。ステージを終えるとすぐホテルに向かい、シャワーを浴びて反省会をする。「今日はここがよくなかったから、次は完璧にやろう」。そういうディスカッションなら毎晩やったけどね。


Q. 5
ジャクソン5やジャクソンズの楽曲で、とくにお気に入りのものは?

☆ TJ:
ジャクソン5の頃では、やっぱり最初のビッグ・ヒットとなった「I Want You Back」だろうね。この歌がラジオから流れてきたときの感動は永久に忘れることがないだろう。ジャクソンズ時代に入ると、自分たちで曲を書くようになった。だから、どのナンバーにも思い入れがある。特定の曲には絞れないな。

TITO JACKSON


Q. 6
ステージではブルース・ナンバーも聴かせてくれましたが、昔からブルースが好きだったのですか?

☆ TJ:
もちろんさ。とくにB.B.キングが大好きだ。父も叔父もブルース・ギターを弾いていたし、僕のギター・プレイの最初の手本は彼らなんだからね。僕にとってブルースを演奏するのはとても自然なことなんだ。


Q. 7
マイケルさんに関して、あなただけが知っているエピソードがあれば聞かせていただけますか。

☆ TJ:
マイケルについてはいろんな話が世に出回っているので、「ここだけの話」はないね。ひとついえるのは、彼が自分の家族だけじゃなくて、どんな人にも常に愛情をもって接してきたということだ。他人が少しでもハッピーになれるよう、何かその人の人生に輝きをもたらすようなことをしてあげようとする心の持ち主だった。もちろん彼はずば抜けた音楽的な才能にも恵まれていた。それは神から与えられたギフトといっていいものだった。


Q. 8
ティトさんご自身のソロ・アルバムも制作中とうかがっています。

☆ TJ:
そうなんだ。もう完成に向けて動き出しているよ。アリシア・キーズ、ジョン・レジェンドなど今のサウンドを代表する人たちと、長い歴史を持つ僕とのコラボレーションが含まれている。ジャクソン5、ジャクソンズの頃とはまた違う、いま現在のティト・ジャクソンのサウンドを味わってもらえるはずだ。楽しみにしてほしいね。

TITO JACKSON


Q. 9
最後に、あなたのニックネーム「ティト」の由来について教えていただけますか?
☆ TJ:
実は僕にもわからないんだよ。本名はトリアーノというんだが、たぶんみんな発音しにくかったんじゃないかな(笑)。本当に幼い頃から、僕はみんなにティトと呼ばれていた。そして今も呼ばれているわけさ。




'12 Bloggin' BNT by 原田和典 , MICHAEL LANDAU , ROBBEN FORD - - report : ROBBEN ...

2010/08/25

ロベン・フォード - ROBBEN FORD
ロベン・フォード - ROBBEN FORD

公演初日リポート:ROBBEN FORD,MICHAEL LANDAU,JIMMY HASLIP,GARY NOVAK
"RENEGADE CREATION"


ロベン・フォード、マイケル・ランドウ、ジミー・ハスリップ、ゲイリー・ノヴァクで構成されたスーパー・ユニット、レネゲイド・クリエイション。
辞書を引くとレネゲイドには“裏切り者”、クリエイションには“創造”という意味があります。なんとも意味深なグループ名ですが、バンド・サウンドはあくまでも熱く爽快、無条件で聴く者をエキサイトさせてくれます。

オープニングはインストゥルメンタル・ナンバーの「JUST LIKE IT IS」。ロベンとマイケルの後ろにリズム・セクションが並ぶのではなく、左からロベン、ゲイリー、ジミー、マイケルが横一列になって演奏します。“4人全員が対等なんだ”という声がきこえてきそうなステージング、そしてプレイです。

ギタリストふたりが味のあるヴォーカリストでもあるところも、このグループの重要なポイントです。高めで張りのある歌声のロベン、ハスキーな低音を絞り出すように歌うマイケル。ふたりがほぼ1曲ずつ交替にリード・ヴォーカルをとりながら、プログラムは進みます。ヴォーカル部分では歌をしっかり聴かせ、間奏に入ると両ギタリストが激しい技のやりとりを展開。ロベンとマイケルの相性の良さは、いまでも語り草の“ジン・チ”の来日公演(2004年)でもうかがえたと思いますが、その“あうんの呼吸度”はこの2010年、さらにパワーアップしているような気がします。前半はロック色の強いリフ・ナンバーが中心でしたが、後半では次々とブルース・ナンバーが披露され、ブルージーなフレーズを流暢に弾きまくるロベンと、アーミングやハーモニクスを使いながら鋭角的に攻め込んでいくマイケルの持ち味の違いがいっそう際立ちました。

アンコールではなんと、ハウリン・ウルフやクリーム(エリック・クラプトン)のパフォーマンスで有名な「SPOONFUL」がプレイされました。もちろん彼らのアルバム『レネゲイド・クリエイション』には入っていません。ライヴに足を運んだファン限定の特典といったところでしょうか。まるで永遠に続くのではないかと思えるほどのギター・バトルに、ブルーノート東京は沸きに沸いたのでした。
(原田 2010/8/24)


● 8.24tue.-8.26thu.
ROBBEN FORD,MICHAEL LANDAU,JIMMY HASLIP,GARY NOVAK
"RENEGADE CREATION"


ロベン・フォード - ROBBEN FORD


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