- report : セルジオ・メンデス
2007年、インドネシア・ジャカルタの「JAVA JAZZ FESTIVAL」でセルジオ・メンデスのステージに接してまいりました。
このフェスティバルは、いくつもの会場を使っておこなわれるのですが、セルジオが出演したのはインドネシア国内最大級のアリーナです。オールスタンディングだった1Fは文字通り、人の嵐。ぼくよりずっと若いファンが、押しくらまんじゅう状態でセルジオのサウンドを楽しんでいます。限られた隙間の中で踊っている人あり、メンバーの指先をジッと見つめる人あり、一緒に歌う人あり、とにかくにぎやかでした。あまりの熱気に少し酸欠状態になったぼくは、座席のある2Fに移動しました。そこももちろん満員です。1Fに比べて年齢層は高めに見えましたが、皆さん、じっくりと音楽に聴き入っています。
終演後、とびきり嬉しそうな顔をしている男性と目が合いました。ぼくは「セルジオ、良かったですねー」と声をかけました。その人は、昔からセルジオが大好きでこの日を心待ちにしていた、彼がジャカルタに来てくれて本当に嬉しい、と語ってくれました。
そのセルジオが現在、ここ「ブルーノート東京」で計6日、12セットのクラブ公演を行なっています。なんとぜいたくなことでしょう。世界中のファンのうらやむ顔が見えるようです。アリーナ・クラスを熱狂させるセルジオのショウが、息遣いが感じられるほどの空間で楽しめるのですから。
オープニングの「ヘイ・ガール(E Menina)」から、“音楽の旅”は始まりました。日本語を交えた「ルガール・コムン」、ラップ入りの「サーフボード」、ブラジル’66時代に舞い戻ったかのような「プリティ・ワールド」、誰もがお待ちかねの「マシュ・ケ・ナダ」。次から次へと必殺のナンバーが飛び出します。しかもセルジオは、演奏している曲の前奏や間奏に別の曲のメロディを盛んに挿入します。“あ、この曲知ってる! この曲大好き!”、と、声をあげたくなった瞬間が何度あったことでしょう。
もちろん、バンド・メンバーの見せ場もたっぷり。マイケル・シャピロのタイトなドラムスに体が動き、芸達者なパーカッション奏者、ギビ(カポエイラの演舞も見せてくれました)の妙技に微笑がもれます。奥方であるグラシーニャ・レポラーセの歌声がまた、実にエレガントで素晴らしい。彼女がいつもそばにいることも、セルジオの若さの秘訣なのかもしれませんね。
ジャンルの壁も言語のバリアも軽々と超え、ユニバーサルな音楽を作り続けているセルジオ。老若男女が一体となって心から楽しめるショウは、あるようで意外と少ないものです。クラブのすべてが、暖かな空気に包まれた特別な瞬間。それを味わえるのがセルジオのライヴです。音楽大使という言葉は、彼にこそふさわしいのではないでしょうか。
(原田 2009/3/2)
3/3 mon - 7 sat, SERGIO MENDES