奇跡の来日目前!ジュディ・コリンズの果てしない魅力に迫る
60年以上にわたる活動を通し
音楽史に大きな足跡を刻んだ伝説的シンガー
今なお歩み続けるジュディが思い描いた"将来"
text = Tadd Igarashi
フォークの女王ジュディ・コリンズは、その美しいソプラノであらゆる種類の作品を見事に歌いこなす歌手としても活躍してきた。そのキャリアは60年を超えるが、驚くことに、この10年はほぼ毎年アルバムが届き、昨年には初めて全編自作曲の「Spellbound」を発表と、ますます意欲的な活動が続く。
そんなレジェンドが遂にブルーノートの舞台に立つ。なんと56年ぶりという、誰よりもジュディ自身が長年待ち望んでいた再来日だ。
69年に発表されたCSNのデビュー・アルバム『クロスビー、スティルズ&ナッシュ』はロック史に輝く名盤だが、その幕開けを飾ったのはスティーヴン・スティルズ作〈組曲・青い眼のジュディ〉だ。その「ジュディ」とは、60年代にジョーン・バエズと並び称されるフォークの女王だったジュディ・コリンズのこと。彼らの恋愛と別れから生まれた名曲中の名曲はまさに世代の賛歌となったが、その主人公「青い眼のジュディ」自身の音楽も、本人の言葉を借りると「私が作り出していたものは60年代という時代のテクスチャ―の一部となったのでしょうね」という時代を象徴するものだった。
ジュディ・コリンズは13歳でコンサート・デビューを果たしたクラシック・ピアノの神童だったが、それから数年の内にフォーク音楽に強く惹かれ、ギターを弾いて歌うようになった。その美声の評判は瞬く間に広がり、59年にニューポート・フォーク・フェスティヴァルに初出演した。
61年にエレクトラ・レコードと契約を交わし、アルバム・デビュー。当初は主に伝統歌を歌っていたが、63年の『Judy Collins #3』からは、ボブ・ディランの曲などを取り上げ始める。彼女のレパートリーはトム・パクストン、リチャード・ファリーニャ、ゴードン・ライトフット、エリック・アンダースンといった同時代のフォーク歌手の曲で構成されるようになり、いち早く新しい才能を見つける歌手としても知られるようになっていく。
60年代半ばにディランやバーズがフォーク・ロックのブームを巻き起こし、ジュディもその流れに刺激され、それまでのフォークのスタイルから音楽的冒険を試みた作品を発表し始める。66年の『In My Life』は編曲にジョシュア・リフキンを迎え、より折衷主義的な方向に進み始めた意欲的なアルバムだった。表題曲はもちろんレノン&マッカトニーの名曲だが、ブレヒト&ワイルやジャック・ブレルの曲まで取り上げていた。また、レナード・コーエンとランディ・ニューマンの曲を取り上げ、彼らを世に紹介した。
そして翌67年の『Wildflowers』は再びリフキンを編曲に迎えたアルバムだが、初めてジュディの自作曲が3曲収められ、生涯の友人となったコーエン作品も3曲歌われていた。しかし、何よりもそのアルバムは傑出した才能を世に紹介した事実で歴史に名を残す。まだレコード・デビュー前だったジョニ・ミッチェルの〈青春の光と影〉を取り上げていたのだ。女性シンガー・ソングライターの第一人者の作品はジュディの歌声によって世に知られた。その曲は全米トップ10入りするジュディにとって最大のヒット曲となり、そのおかげでアルバムもベストセラーとなった。先日、ジュディはニューヨークで15人編成のオーケストラを従え、この名作アルバムを再現するコンサートを行い、大きな話題を呼んだ。
70年のアルバム『Whales & Nightingales』の最後を締め括ったのが〈アメイジング・グレイス(至上の愛)〉。このよく知られた賛美歌のジュディ版は全米第15位のヒットとなり、それ以降彼女の十八番となるが、この曲を取り上げた背景には当時泥沼化していたべトナム戦争への思いがあったという。平和への祈りをこめて録音したのである。
それ以降のジュディは選曲の幅を広げ、それまで歌ってこなかった種類の曲も取り上げるようになった。例えば、75年の『Judith』で、オーケストラの伴奏で歌った〈悲しみのクラウン〉はとりわけ新しいジュディを印象付けた曲で、75年と77年に2度も全米トップ40入りを果たした。これはブロードウェイを代表するソングライター、スティーヴン・ソンダイムの曲である。こういった曲も歌うようになったジュディを、米ヴァニティ・フェア誌は「非の打ちどころのない(曲に対する)審美眼と繊細なフレージングの天賦の才能を備えたコンテンポラリー・フォークのフランク・シナトラ」とまで呼んだ。
さて、近年のジュディ・コリンズの最大の話題は、かつての恋人スティーヴン・スティルズと組んで制作した17年のアルバム『エヴリバディ・ノウズ』とツアーだった。別れてからも50年間友情を保ち続けてきた2人が自作とカヴァーを取り混ぜた新旧の10曲で、半世紀にわたる物語を語るような内容となっていた。
その共演作が半年ほど遅れて日本でも発売されたとき、小生は「青い眼のジュディ」に電話インタヴューすることができた。とても楽しい会話となったのだが、スティルズとの共作曲がないことについて訊くと、その理由には米国の東西に離れて住むことを上げたが、「でも、将来実現するかもしれないわ。そう望むわね」とも答えてくれた。そこで「60年近いキャリアを重ねた今も、〈将来〉という言葉を聞けるのは、とても嬉しいことです」と言うと、大笑いになるも「でも、本当よ。私たちにはまだたくさんの創造性があるし、これからももっとたくさんのものが生まれるわ」と彼女は前向きな言葉で締め括った。
それからの5年を振り返ると、ジュディの言葉が本当だったとわかる。彼女には確かに明るい〈将来〉があったのだ。毎年のようにアルバムを発表し、コロナ禍の中断はあったが、年間100本近いライヴを今もこなしているという。最新作「Spellbound」は長いキャリアで初めて全曲を自作曲で固めたアルバムで、そこで彼女はこれまでの人生の様々な時期と場所からの物語を歌っている。
長いキャリアを経て、今またそのルネサンス期を迎えているジュディ・コリンズ。その衰えを知らない美声の秘密は「体をきれいにしていることかしら。酒を飲まないし、たばこも吸わない。叫んだりもしないし。健康的な生活を送っている」からだそう。そんな彼女の魅惑的な歌声をここ日本で聴けるのは本当に嬉しいが、彼女自身が我々以上に興奮しているかも。18年のインタヴューで日本について触れたときの反応はこうだった。
「オー・マイ・ガッド! 日本にまた行きたくってたまらないのよ! 一度しか行ったことがないの。あれは67年だったかしら」
ーーあれ以来来てないんですか!?
「ええ。行ってないわ」
ーーそれはもう犯罪的なことですね!
「ひどい話でしょ。そう、犯罪よ。本当にそうよ。何故かはわからない。あのときはミミ・ファリーニャとアーロ・ガスリーと一緒だった。私たちは素晴らしい時間を過ごした。どうして、あれ以来日本に戻る機会がなかったのか、私にはわからない。私を呼ぶことができるエージェントがいなかったのか。とても残念よ。でも、なんとか行きたいわね」
そんな彼女の半世紀以上の思いが遂にかなえられる!
<1967年5月19日に行われた大阪公演>
左:ミミ・ファリーナ(ジョーン・バエズの妹)とアーロ・ガスリー(ウディ・ガスリーの息子)とともに
右:一緒にいるギタリストはブルース・ラングホーン
LIVE INFORMATION
JUDY COLLINS
2023 3.30 thu., 4.1 sat.
https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/judy-collins/
<MEMBER>
Judy Collins(vo,g)
Russell Walden(p)
五十嵐正(いがらし・ただし)- 音楽評論家/翻訳家。著書に「ライ・クーダー アルバム・ガイド&アーカイヴス」「ザ・バンド全曲解説」「ヴォイセズ・オブ・アイルランド」など多数。訳書に「ジェフ・トゥイーディ自伝 さあ、行こう。ウィルコと音楽の魔法を探しに」など。