【来日直前インタビュー】KENNY GARRETT
Interview & text = Mitsutaka Nagira
interpretation = Kyoko Maruyama
"僕の音楽にはすべての音楽が含まれている"
ケニー・ギャレットが語る
『Sounds From The Ancestors』に込めた思い
ケニー・ギャレットが6年ぶりに来日する。2021年に発表した『Sounds From The Ancestors』を冠したライヴで、ジャズを中心にアフロキューバンから、R&B、ファンクなど、さまざまな要素を感じられるアルバムの音楽が日本で披露されることになる。
ここでは日本にはあまり情報がなかった『Sounds From The Ancestors』について話を聞いた。さまざまな先人に捧げるという壮大なテーマでありながらも、バラエティ豊かな曲が並び、それぞれに魅力的ないリズムが組み込まれていて、どこか陽気で踊りだしたくなるようなケニー・ギャレットらしいワクワク感にあふれた作品のことがわかると、来日公演をさらに楽しめるようになるはずだ。
――まず『Sounds From The Ancestors』のコンセプトを聞かせてください。
「子どもの頃、サンクスギビングになると大好きなシングル盤......今はもうないが78回転盤や45回転盤をわざと隠して、クリスマスが来るまで聴かないでおいて、クリスマスは朝から一日中をそればかり聴いていたんだ。そんな思いをアルバムにしたかった。子どもの僕を音楽へと引き寄せてくれた、心の高まり......Ancestors(祖先)からの音を反映する音楽......。だからそこにはR&Bもジャズもヒップホップもある。日本で演奏するのも、それが全部込められた音楽だよ」
――基本的にあなたはどんな作品でもAncestorsへのリスペクトを表現していると思うのですが、あえてそれをタイトルに記したのはなぜですか?
「いつだって僕は自分の前にいたミュージシャンやメンターたちに敬意を払っている。今回はそれを音楽で表したかった。自分が聴いて育った音楽を多くの人にも聴いてもらいたいというのがコンセプトだった。だから、ストレートアヘッドもあれば、ヒップホップもR&Bもクラシックもアフリカンキューバンも、すべてがそこにある」
2018 3.13 BLUE NOTE TOKYO(Photo by Great The Kabukicho)
――ここからはそれぞれの曲について聞かせてください。「It's Time To Come Home」にはどんなストーリーがありますか?
「あれは孫のために書いた曲。僕が子どもの頃は、アイスクリームを売りにくるトラックがあって、いつも流れる曲があった。だから僕なりのアイスクリーム・トラック・ソングを書きたかった。孫があれを聴いたら、"家に帰る時間だ(it's time to come home)"とわかる曲をね)」
――そんな曲にバタドラムやヨルバのチャントを入れたのは?
「それが僕の体験の一部だから。僕の音楽は自分が経験したことから生まれる。チューチョ・バルデスとは、よく一緒に演奏していた。その経験が表れたんだろう。アルバムの曲の多くは、実はパンデミック前にレコーディングが済んでいた。でも、ライヴができずに家にいる間、いろんな声やリズムが聴こえてきたんだ。そのひとつがヨルバのチャントだった。だからもしパンデミックがなかったら、まるで違うアルバムになっていただろう。僕はたいていアルバム作りにあまり時間はかけない。でも、今回は聴き返す時間があったから、プロダクションの面でいろいろと聴こえてしまった。結果、ここにシンセを、ここに声を、クワイアを......と思うようになり、コロナ禍にそれをやっていたんだ」
2018 3.13 BLUE NOTE TOKYO(Photo by Great The Kabukicho)
――あなたは過去に「Chucho's Mambo」という曲をやっていたくらいですから、チューチョ・バルデスはあなたにとって特別な存在ですよね?
「間違いなく、チューチョは僕のメンターだ。彼のやっているたくさんのバンドで僕も演奏した。チューチョはビザの関係で、なかなかキューバから出国できず、僕らは彼の演奏を聴きたいと思っても聴けなかった。ある時、『スウィング・ジャーナル』誌を読んでいたら、僕とチューチョ、それどころかユセフ・ラティーフまで誕生日が一緒だとわかったんだよ! それはともかく、チューチョの音楽にはkindred spirit(※同じ興味や価値観、こころざし)を感じてきた。アフロキューバンだったが、自分の音楽だと思えた。だから彼が呼んでくれるたびに応えようとしたし、できるだけ同じバンドスタンドに立とうとした。アフロキューバン音楽をどう演奏するか、音楽における(ジャンルや地域間の)共通点をどう考えるか、チューチョから学んだことは大きかったよ」
――次は「Hargrove」です。ロイ・ハーグローヴに捧げた曲だと思います。あなたにとってロイはどんな存在でしたか?
「ロイとはたくさんの場で共演した。ロイ・ヘインズのバンドでも、個別でも。マッセイ・ホールの50周年の時は、ハービー・ハンコック、ロイ・ヘインズ、ロイ・ハーグローヴ、デイヴ・ホランドとやった。マックス・ローチも会場にいるなかでね。彼と僕の音楽には通じ合う部分が多かった。音楽の聴き方が一緒だったから。〈Hargrove〉のコードチェンジのアイデアは少し前からあったんだが、ロイが亡くなった後、気づくとあのメロディを歌っている自分がいた。"これはロイだ"と思ったよ。年下のミュージシャンからは、僕はロイに近い存在だと思われているが、それは多くの共演をしたから。だから彼という"人間"のことも僕にはわかるんだ」
――あなたのバンドを通過し、いまシーンの最前線で活躍する若手のミュージシャンの多くはロイ・ハーグローヴからの影響を公言しています。ロイの新しさについて、あなたはどう見ていましたか?
「音楽的なコンセプトは僕と同じだった。ロイはR&Bが好きだった。僕もR&Bが好きだ。音楽そのものを愛していた。人生を音楽に捧げていた。そこが共通点だ。僕らは共に人生を音楽に捧げている。ダラスから出てきて、Ancestorsの音楽をすべて演奏する彼の姿勢に、僕は共感する。言葉にして話すことはなかったが、kindred spiritを持っていることはわかった。それはファラオ・サンダースが持っていたのとも同じものなんだよ」
――「For Art's Sake」はちょっと変わったリズムですね。この曲にはどんなストーリーがありますか?
「アート・ブレイキーとトニー・アレンに捧げた曲だね。トニーはアフロビートの父だが、アート・ブレイキーの影響を受けていた。僕も同じようにトニー・アレンに影響を受けたので、スタジオでロナルド・ブルーナーJr.と作業している時に"それら3世代をひとつに結びつけるビートを作りたい"と話したんだ。僕のリズムを聴き、ロナルドがビートを刻み、その瞬間"これだ"と思った。彼には実際、アート・ブレイキーとトニー・アレンのための曲だ、と言葉で伝えた。アフロキューバンとかアフロビートというひとつのスタイルではなく、ビバップやスウィングの要素もあるのはそのせいさ」
――アート・ブレイキーとトニー・アレンの関係ってどんなものですか?
「トニーはフェラ・クティとやりながらも、アートのようなビバップ・ドラマーになりたかったんだ。アート・ブレイキーに憧れ、その影響を使って生み出した新しいビートが、いま僕らがアフロビートとして知るビートなんだよ」
――あなたもアフロビートを演奏します?
「知ってはいるけど、厳密には演奏しない。先ほどから話しているkindred spirit を持つ同志ということでは、トニーもフェラ・クティもそれに当てはまる。いつも彼らの音楽は聴いてきたよ。だから身体がアフロビートは知っている。実際には演奏しないとしても、ね。トニー・アレンとは一度、共演の話があったんだけど、僕のスケジュールが合わず実現しなかった。パンデミック直前に僕らはフランスのラ・ヴィレットに出ている時、トニーに"あなたのために曲を書いた"と話したら、"いま聴かせてくれ"と言うんで、"まだ演奏してないが、あなたが来てくれるならやる"と言ったんだ。結局、それが実現しないまま、コロナ禍にトニーは亡くなってしまった。曲も聴いてもらえないままだった......」
――タイトル曲の「Sounds From The Ancestors」はどうですか?
「最初に話したとおり、僕の子ども時代を彩った音楽を演奏するというコンセプトだ。子どもの頃から僕はあらゆるジャンルの音楽に触れてきた。日本の音楽だろうと、中近東アラブの音楽だろうと、広い心で聴いた。だからこの曲に関しては、二つの影響がある。ひとつはチューチョ・バルデス、もうひとつはイタリアのオペラだ。僕のサックスの修復をしてくれるのがイタリア人なので、店に行くたびにイタリアのオペラやアリアを教えられるんだ。あれはオペラ、アフロキューバ、ジャズ、クラシック、とすべての要素が聞こえる曲だ。僕にとってそれが"Sound of the Ancestors"なんだ。すべての音楽の歴史があそこには捉えられている」
――ドゥワイト・トリブルをヴォーカルに起用した理由は?
「ドゥワイトはゴスペル・パート担当だ。つまりチャーチの要素。そして、アフロキューバン、ヨルバはペドリート・マルティネスが担当ということ」
――ヨルバのチャントをここでも入れた理由は?
「ヨルバのパートに関して、チューチョとの仕事でペドリートのことは知っていた。だから曲を書いた時、彼にチャントを唱えてほしいと思っていた。でも"何を"チャンティングしてもらいたいのかが自分の中では定まってなかった。パンデミックの最中のことだよ。曲はすでに録音されていたから、"僕の希望はancestorsに触れること。君のやれることをやってくれ"とトラックを送り、彼に委ねたんだ。ナイジェリアのヨルバの要素、ゴスペルの要素。すべてが必要だった。そういうのってうまく行かないこともあるが、でも必要だったんだ。そして、ペドリートは僕の求めていたことが何か完全にわかってくれた」
2018 3.12 COTTON CLUB(Photo by Takuo Sato)
――『Sounds From The Ancestors』のコンセプトは聞きましたが、その中にはアフリカン・ディアスポラの音楽をリサーチすること、そういう音楽を演奏することも入っていますか?
「アフリカン・ディアスポラの歴史に関しては、自分の音の体験としてだけに留めようとした。もちろん、それはそこにある。でもあえてそのことを高らかに語ってはいない。なぜならあくまでも子どもの頃に僕が体験したこと、僕の人生を満たし、一年、また一年と導いてくれた音楽についての話だからね」
――とはいえ、あなたは西アフリカの音楽やカリブ海の音楽をリサーチして、自身の作品の中で演奏してきたわけですよね。このアルバムもその一部でもあるかなと思ったんですが。
「僕の音楽にはすべての音楽が含まれている。アフリカだけじゃなく、日本、中国、韓国、中東の音楽もある。それが学びのプロセスの一部だと僕は信じている。単に一方からだけの影響じゃないんだ。たとえば、僕はフランス領カリブのグウォッカの音楽にも影響を受けている。だから曲を書く時は、グウォッカも含めたすべての要素をテーブルに並べる。どれかひとつだけじゃないんだ。そのどれもがancestorsからの音の一部だと僕は思うからね」
LIVE INFORMATION
KENNY GARRETT and Sounds From The Ancestors
2024 10.13 sun., 10.14 mon., 10.15 tue.
https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/kenny-garrett/
<MEMBER>
ケニー・ギャレット
ベニート・ゴンザレス(ピアノ)
エリック・ウィーラー(ベース)
マイケル・オード(ドラムス)
ルディ・バード(パーカッション)
柳樂光隆(なぎら・みつたか)- 1979年、島根県出雲市生まれ。音楽評論家。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本「Jazz The New Chapter」シリーズ監修者。共著に鼎談集「100年のジャズを聴く」など。鎌倉FM「世界はジャズを求めてる」でラジオ・パーソナリティも務める。
★このインタビューのフルver.はnoteに掲載
https://note.com/elis_ragina/n/n13afcb833ee7