"ブルースの殿堂"入りも果たした、伝説的シンガーが登場!
ごきげんなブルーズとソウルとで観客をエンタテインする
ライヴ叩き上げシンガー登場
陽気。
アメリカのブルーズ・サーキットや、ミュージカル周辺で活躍するソウル、ブルーズ・シンガーは多い。ただそうした実力派シンガーたちはライヴを中心に活躍するために、その地に行かなければその魅力に触れる機会がなかなかない。彼らはレコーディングするよりも、ライヴのステージでの人生を第一義に考える。ライヴたたき上げのアーティストたちのステージはプロ中のプロ。どんな客がいようとも、必ず彼らを楽しませる。
そんなアーティストのひとりが、スイート・ジョージア・ブラウンと名乗るシンガーだ。あのキャブ・キャロウェイやエラ・フィッツジェラルドなどでおなじみのスタンダード曲「スイート・ジョージア・ブラウン」を自らの芸名にした女性シンガーだ。
彼女は1947年3月21日、アメリカ南部、サウス・キャロライナ生まれ。現在67歳。3歳頃から歌とダンスを始めた。夏休みに故郷からニューヨークにきて、ハーレムの「ヴィクトリア音楽学校」でタップ・ダンス、ヴォーカルの授業を体験。さらに9歳のときにカーネギー・ホールで行われたミュージカル『アリス・イン・ワンダーランド』にタップ・ダンサーとして参加したという。
その後ニューヨークに移住、同地でハイスクールに通いながら、音楽活動を積極的に行い、アポロ・シアターの有名なアマチュア・ナイトにも出演した。クラブなどでのライヴ活動を続け、さらにヒット・ミュージカル『ユービー』、『バブリン・ブラウン・シュガー』にも参加、これらが認められ、同じくミュージカル『アン・イヴニング・アット・ザ・コットン・クラブ』でベシー・スミス役という主役を射止めた。ここで彼女はジャズ、ブルーズ、ゴスペルを歌い、ヨーロッパ・ツアーも敢行。ディジー・ガレスピー、ココ・テイラーらとステージをともにしたり、2009年にはモントルー・ジャズ・フェスにも登場している。
だが、陽の当たる日もあれば、影となった日もある。彼女の人生も山あり谷ありだった。1950年代にシンガー、ダンサーとしてハーレムやニューヨークのクラブで仕事をするのは大変だった。20歳で結婚、3人の娘が誕生するがその娘の一人は13歳で妊娠、彼女がそのベイビーの面倒もみなければならなくなる。仕事が途切れ、ホームレスになったこともある。糖尿病にもなった。医者は高いからなかなか行けない。10年ほど前だが交通事故にもあい、背中が痛い。まさに彼女の人生そのものがブルーズのようだ。
彼女は自身のグループ、ザ・ブルーズ・クルセイダーズを率い、そのリード・シンガーとして活動。彼女が書いた「チェリー・パイ」という持ち歌は観客から大変人気があるという。これは野太いいかにもブルーズやソウル、そしてジャズも得意そうな迫力たっぷりの歌がはいっている。
彼女は、アポロ・シアターの本などを書いている作家、ラルフ・クーパーによって、「最後のレッド・ホット・ママ」(気のいいのりのいい豪快な肝っ玉かあさんのような意味)と呼ばれている。
ブルーノート東京ではかつてルース・ブラウンを見たが、あのようなストリートの陽気なおばちゃんシンガーのようだ。もちろん、日本へは初登場。これはなかなか楽しみなブルーズ&ソウルなライヴになりそうだ。
- 吉岡正晴(よしおか・まさはる)
- 音楽ジャーナリスト・DJ。ソウル・ミュージックの過去現在未来をわかりやすくご紹介する毎日更新のソウル・サーチン・ブログを運営。http://ameblo.jp/soulsearchin/ イヴェントなども。著作『ソウル・サーチン』は電子書籍でリリース。