天才シンガー・ソングライターが遂に初登場!
まさに最後のリヴィング・リジェンドの一人、
ホセ・フェリシアーノがやってくる!!!
ホセ・フェリシアーノといえば、皆さんはすぐ何を連想されるだろうか?
デビュー後4年にして初めて放った大ヒット、ドアーズのカバーの「ハートに火をつけて」を思い浮かべる方も少なくないだろう。毎年その季節にはどこからか聞こえてくる永遠の名クリスマス・ナンバーのロング・ヒット「フェリス・ナヴィダ」や71年のサンレモ音楽祭で2位に輝き日本でも何度かカバーされている名曲「ケ・セラ」を思い浮かべるオールド・ファンの方もいらっしゃる事と思う。
ただし40代以下の人達には、サバービアスィートの橋本徹氏が中心となり70's~80'sのソウル及びその周辺の音を再評価したムーブメントFree SoulのコンピレーションCD "Free Soul:Impressions" に納められたスティーヴィー・ワンダーのカバー「ゴールデン・レディ」でその名を深く記憶に刻み込んでいらっしゃる方が最も多いのではないだろうか?
74年のアルバム "And The Feeling's Good" に収められているこの曲は、当時第一弾としてシングルも切られたが、同アルバムの後発シングルである "Chico and The Man" が後追いでまずまずの成果を収めたのに対し当時あまり大きな評価を得る事はなかった。ヒット曲というのは発表のタイミングやその時その時の時代の雰囲気に左右される部分も大きいのでそれはそれで仕方が無かったのだろうが(恐らく当時はまだスティーヴィーによる原曲のヒットの存在感が相当大きかったので「良く出来たカバー」程度の認識で斬新性にかけたのだと思う)、20年の時を経て改めて新たに世に提示した橋本徹氏の手腕はなかなかのものだと思うし、実際この曲は「Free Soulを代表する数曲のひとつ」といえるだけの大きな評価を受けたと思う。
その後、その橋本徹氏がFree Soulの再構築として2010年に発表したアーティスト単位でのコンピ・シリーズ、フリー・ソウル クラシック・シリーズのホセのアルバムを見て頂ければ判る様に、実際彼にはカバー曲が多い。前述2曲の様にヒットしたものもそうでないものもあるが、代表曲として認められる曲の多くにカバーが含まれているというのは、同様のセルジオ・メンデスやレイ・チャールズ等が皆そうである様に、彼が他人の曲であろうと完全に自分のものにして演奏することが出来る「カバー巧者」であることを物語っている。つまりは他者の曲も自分の物として咀嚼し表現する能力に秀でていることに他ならないと思う。
'45年プエルトリコに生まれ幼くしてニュー・ヨークのプエルトリカン・コミュニティーに移り住んだ彼は、生まれながらにして盲目だった分幼い頃から音楽と親しみ、6歳でアコーディオンを始め9歳の時にはすでに人前に立って演奏を始めていたらしい。その後父親に与えられたギターを弾く様になった彼は、フラメンコ、ジャズ、50'sロックンロールやソウル・ミュージックを聞きながら育ち、中でもレイ・チャールズには唄い方に大きな影響を受けたと自身のインタビューでも語っているが前述のカバー巧者として共通することから考えてもありなんと思う。
17歳で家計を助ける為にプロとなった彼は19歳の'64年にRCAビクターと契約しメジャー・デビューを果たし2年後の'66年にはスペイン語圏でブレークし'68年には前述ドアーズの「ハートに火をつけて」で全米的にブレーク、その後40枚以上のアルバム、60曲以上のヒット・シングルを放ちながら現在に至っている訳だが、ちょうどメジャーデビュー50周年にあたる今年の来日公演では、前述2曲の他ビートルズやジャクソン5などのカバーのレパートリーや、何れもシンプルながら力強さを感じる自身のヒット曲の数々、また同様に色濃く彼が持つラテン、フラメンコ、ブラジル音楽等の影響も感じられるステージになる事は間違いないと思う。
まさに、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、ポール・マッカートニー等と比肩すべき20世紀の大音楽家のステージを是非皆様にも味わって頂きたいと思う。
ホセ・フェリシアーノ
『フリー・ソウル クラシック・オブ・ホセ・フェリシアーノ』
橋本徹(SUBURBIA)選曲・監修
- 椿 正雄(つばき・まさお)
- '58年生まれ。生まれ育った下北沢で'82からレコード店「フラッシュ・ディスク・ランチ」を開業。職業柄得た知識と年数回に及ぶ仕入渡米時のジャズ・クラブや黒人街のラウンジでのジャズ/ソウル・ライヴの数多い経験を武器に、本業の傍ら89年頃から、レコード・コレクターズ誌の連載「ブラック・ミュージック裏街道」('93~'96年) など執筆活動を行っている。