アメリカ・ジャズ界の生き証人、ボブ・ドローの魅力
マイルスから九九まで、アメリカをジャズで表現し続ける
2013年、ニューヨークでのインタビューを再アップ!
いよいよ6月5日(金)、2年振りにボブ・ドローが来日する。御年92歳、今回はシンガー・ソングライター兼女優として目覚ましい注目を集めるネリー・マッケイをスペシャル・ゲストに迎えたステージだ。
ここでは2013年にニューヨークで行ったインタビューを再アップし、ジャズからアメリカの国民的テレビ番組への関わりまで、その幅広い功績をご紹介します。
(以下、2013年4月、ブルーノート東京スケジュールマガジン掲載記事より/取材は3月19日、ニューヨークにて)
まだ春の足音が遠かった3月19日、ニューヨークのブルーノートで独特の歌声で、根強い人気を博すボブ・ドローに会った。90才を目前にして初来日を果たすアメリカ・ジャズ界の生き証人は、ひょうひょうとしながら闊達に、音楽家であることにこだわり続けた半生を語った。
「"マイルスだ。俺にクリスマス・ソングを書いてくれ"って」
マイルス・デイヴィスに「ブルー・エクスマス」を依頼されたときのエピソードを、ボブ・ドローは声色を真似ながら、楽しそうに、上手に語った。1962年の出来事。それから半世紀(!)、人に請われるたびに人の好いボブはくり返し話して来たのだろうな、と思った。マイルスが彼の出世作にして最高傑作のひとつとされる『デヴィル・メイ・ケア』を気に入って、クリスマス・アルバムに参加する運びとなったのは、有名な話だ。
研究を重ねて作り上げたヴォーカルスタイル
「ニューヨークでは近寄りがたい人だったから、ロスで共通の女友達のアパートでアルバムを通して聴いた、と知らされたときは驚いたね。コルトレーンたちが演奏していたクラブで紹介されて、いきなり"ボルチモア・オレオール"を歌えって」。それが「ブルー・エクスマス」につながり、もうひとつの共演曲「ナッシング・ライク・ユー」も同じ日にレコーディングした。 ふたりのつき合いは70年代を通して続いたと言う。
89才のボブ・ドローのキャリアをたどると、20世紀後半のアメリカの、めくるめくようなカルチャー史が浮かび上がる。 第二次世界大戦で徴兵されたものの、右耳の鼓膜が悪かったため軍のバンドに配属された。「作曲とアレンジをして自分で歌った。ピアノとサックスも演奏したから、いい練習になったね」。その後、コロンビア大で作曲を学びながら、ビーバップ全盛期のニューヨークを駆け抜けた。「ジャズ・シンガーらしい声ではないのは自覚していたから、とにかく練習した。言葉が伝わるのを大事だと思っていて、滑舌は徹底的に鍛えたね」。その歌い方は、トム・ウェイツらにまで影響を及ぼした。「50年代のビーバップ・ミュージシャンはみんなヒッピーだったよ。金はなくても、ポエトリーを聞きに行って、すばらしい絵を見て、インドや日本、中国、バリの音楽を聴いて...」。ザ・ファグズのポエトリー・リーディングと音楽を融合させる試みに力を貸し、そこからビートニクの巨匠、アレン・ギンズバーグのプロジェクトに招かれて、文学史にも足を踏み入れている。「マイルスも独特だったけれど、ギンズバーグも風変わりだったね」と笑う。
音楽ディレクターと放浪の二重生活
伝説のボクサー、シュガー・レイ・ロビンソンがエンターテイナーに転向したときのバンドにも在籍した。「カウント・ベイシーのバスに乗って北米を回ったよ。南部では偏見がまだ根強く、すごくホットな演奏をしても、黒人の仲間は俺と同じホテルに泊まれないと言われたこともあった。南部出身として、恥ずかしかったよ」。ボブ自身は、ほかの苦労を味わった。ロックの時代になり、ジャズでは生計が立てづらくなったのだ。「作曲とアレンジができたからCMソングの仕事をしていたら、教育用の曲を作る依頼が来た」。それが、アメリカ人に広く親しまれた「スクール・ハウス・ロック」の始まりだ。九九やアメリカ史をアニメと音楽で表現、土曜日の午前中に放映されて大評判に。テレビの音楽ディレクターをしていた時代も、ベーシストのビル・タカスとヨーロッパに演奏旅行したのが、もっとも楽しい思い出だと言う。「ジプシーみたいに少しのギャラと寝るところをあてがってくれたら、どこでも行った。75年に西海岸から始めて、数年間は週末ヨーロッパで、それからロスでテレビ用の曲の作る二重生活をしていた」といい、「俺たちはHAMだった」と締めた。HAMは、クレイジーという意味のスラングだ。つまり、ボブ・ドローの生涯は、音楽狂そのものなのだ。
WE LOVE BOB!
「デヴィル・メイ・ケア」に魅せられたのは、マイルス・デイヴィスだけではない。ジェイミー・カラムやダイアナ・クラルもカヴァーし、新しいファンを獲得。「ジェイミーとはもう友達だよ」とボブさん。「スクール・ハウス・ロック」は、番組を見て育ったに違いないヒップホップのデ・ラ・ソウル、俳優のジャック・ブラック、シンガーのジャック・ジョンソンが引用やカヴァーをしている。
photography = Shino Koike
interview & text = Minako Ikeshiro
- 池城美菜子(いけしろ・みなこ)
- NYはブルックリン在住の音楽ライター。R&B/レゲエ/ヒップホップを足場に、生活環境が異なっても変わらぬ「人の心」を、音楽を通じて記すのがモットー。