ステップス・アヘッド、根強い人気を誇るバンドの魅力とは | News & Features | BLUE NOTE TOKYO

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ステップス・アヘッド、根強い人気を誇るバンドの魅力とは

ステップス・アヘッド、根強い人気を誇るバンドの魅力とは

ブルーノート東京ではお馴染みのバンド、ステップス・アヘッド
過去の重要作品とともにバンドの歴史を振り返りつつ、
その魅力を探る

「コンテンポラリー・ジャズ界の名門グループ」と称されるステップス・アヘッドが間もなく来日。ここでは公演に向けて、過去の重要作品とともにその魅力をライターの熊谷美広氏が解説する。

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セッションから生まれた"ステップス"

『スモーキン・イン・ザ・ピット』(日本コロムビア)

1979年頃から、ニューヨークのジャズ・クラプ"セヴンス・アヴェニュー・サウス"で、マイク・マイニエリ(vib)やマイケル・ブレッカー(ts)などが中心となって、実験的なアコースティック・ジャズのセッションが行なわれていた。当時フュージョン・シーンの売れっ子だった彼らが、新しい感性でアコースティックなジャズを演奏するこのセッションは、次第に評判を呼ぶようになり、その評判は日本にも伝わって、1980年12月にそのセッションは"ステップス"という名前で来日公演を果たす。その時のメンバーは、マイニエリ、ブレッカー、ドン・グロルニク(p)、エディ・ゴメス(b)、スティーヴ・ガッド(ds)。そして12月14-16日、彼らは六本木ピットインで、今では伝説となった壮絶なライヴを行ない、その模様を日本のレコード会社が録音して、ライヴ・アルバム『スモーキン・イン・ザ・ピット』としてリリースされた。ここで展開されていた、新感覚のアコースティック・ジャズは、当時のジャズ・シーンに大きな衝撃を与えた。また彼らは同時に日本でスタジオにも入り、オリジナル・ステップスとしては唯一のスタジオ録音盤『ステップ・バイ・ステップ』をレコーディングしている。その後ステップスは、ドラマーがピーター・アースキンに代わり、1981年9月にセヴンス・アヴェニュー・サウスでライヴ・アルバム『パラドクス』をレコーディングしている。

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"ステップス"から"ステップス・アヘッド"へ

『ステップス・アヘッド』(ワーナーミュージック・ジャパン)

1983年、ステップスはアメリカのレコード会社と契約して全米デビューが決まるが、すでにアメリカに"ステップス"という名前のグループがあったため、"ステップス・アヘッド"と改名し、アルバム『ステップス・アヘッド』をリリースする。この時、グロルニクに代わって、ブラジル出身で、当時はまったく無名だった女性ピアニストのイリアーヌ・イライアスが加入していた。だが『ステップス・アヘッド』がアメリカではあまり好評ではなかったためか、今度はキーボードをウォーレン・バーンハートに代え、エレクトリックなサウンドも取り入れ、ステップス時代のコンセプトとはまったく違った方向へと進んでいくことになる。そして1984年にリリースされた『モダン・タイムス』では、エディ・ゴメスのアコースティック・ベースを使いながらも、シンセサイザーやシーケンサーなどもなども導入し、より先進的な、そして洗練されたサウンドが展開されていた。

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マイニエリとブレッカーの双頭体制へ

『マグネティック』(ワーナーミュージック・ジャパン)

その後ステップス・アヘッドは、1985年頃から、レギュラー・グループという形態を取らずに、マイニエリとブレッカーの二人をリーダーに、あとはその時その時に適切なメンバーを招くというユニットへと形を変えていく。また同時に、さらにエレクトリックなサウンドを展開していくようになる。そして1986年、『マグネティック』がリリースされる。ここでは、すでにグループとしての形態はなく、マイニエリとブレッカーを中心に、曲によってピーター・アースキン、ヴィクター・ベイリー(b)、チャック・ローブ(g)、ハイラム・ブロック(g)、ロビー・キルゴア(key)、ミッチェル・フォアマン(key)などが参加している。その後ステップス・アヘッドは、1986年夏7月にマイニエリ、ブレッカー、マイク・スターン(g)、ダリル・ジョーンズ(b)、スティーヴ・スミス(ds)というメンバーで来日し、このときの模様はライヴ・ビデオとライヴCDとしてリリースされたが、これを最後にグループは一旦活動を休止する。

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そして、ステップス・アヘッド復活へ

『ステッピン・アウト』(海外盤)

1989年、ステップス・アヘッドは、マイニエリをリーダーとしたグループとして復活し、『N.Y.C.』(1989年)、『陰陽』(1992年)、『ヴァイブ』(1994年)と、マイニエリを中心に、作品ごとに様々なゲスト・ミュージシャンたちが加わるという形でアルバムを制作していったが、2005年に、1999年のライヴ・アルバム『ホールディング・トゥゲザー』をリリースした以降は、再び活動を休止していた。だが2016年、ステップス・アヘッドは、ビル・エヴァンス(sax)のグループ"ソウル・バップ"と合体して再び復活し、ステップス・アヘッド名義としては11年ぶりとなる、ドイツのビッグ・バンド"WDRビッグ・バンド"との共演盤『ステッピン・アウト』をリリースし、そしてそのメンバーで、ブルーノート東京にも登場する。伝説のグループの最新のライヴ・パフォーマンスは、まさに必見のステージだといえるだろう。



熊谷美広
音楽ライター。ジャズライフ誌の編集部を経て、90年にフリーランスとなり、様々な音楽雑誌やCDの解説などの執筆を中心に活動。またテレビやラジオの音楽番組の構成や、ライブの企画なども手掛けている。

公演直前、マイク・マイニエリからコメントが到着

ーーステップス・アヘッドは、過去様々なメンバーで構成されてきたバンドですね。特に思入れのあった時期はあるのでしょうか。

絞るのは難しいな。どのステップス・アヘッドにも違ったファーメーションやメンバーが関わってきていて、その度ファンは楽しんでいると思う。だからこの答えは僕たちのファンに託すことにするよ。

ーーバンドについて、ビル・エヴァンスをはじめ中心となるメンバーとはどんな話しをしているのですか。

去年、ビル・エヴァンスと僕で今年に行われるいくつかのプロジェクトについて話してたんだ。ビルはステップス・アヘッドの曲をフィーチャーしたWDR big band(※1)と一緒にゲストアーテイストとして演奏する計画を立ててた。他のゲストはトム・ケネディー、スティーヴ・スミスそしてチャック・ローブがギター。皆一度はステップス・アヘッドで演奏したことがあるか、別の機会で共演しているアーティストたちだよ。それと以前に、ビルが率いるソウルグラスバンドにランディー(・ブレッカー)と一緒にゲストとして出演した事がある。一昨年にもスイスで行われたビックバンドプロジェクトで一緒に演奏したよ。もちろんランディーとビルはソウルバップ・バンドとして何年も一緒にツアーをしている。実をいうとビルがバンドを一緒にやろう、って提案した張本人なんだ。そこに前にも一緒に演奏した事があるスティーヴ・スミスとトム・ケネディーが加わったのは自然の流れだった。

ーー今回はどんなショウになりますか。

とても楽しいショーになるよ! 古き良き友達であり、素晴らしいミュージシャンたちが集まって、お気に入りのステップス・アヘッドの曲を演奏するからね。それにギタリストとキーボーディストがいないという珍しいバンド構成も楽しめると思うよ。

※1 WDR big band 1946年結成。西ドイツ(現ドイツ)ケルン市の<WDR:西ドイツ放送>で編成されたビッグバンド。

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