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[インタビュー|OFFSTAGE]"三宅ジャズ"のルーツに迫る

[インタビュー|OFFSTAGE]"三宅ジャズ"のルーツに迫る

ビッグバンドの生音の魅力、もっと知ってほしい。

2月に2日間4公演行われた三宅裕司さんのビッグバンドのショーは大エンタテインメントだった。
演出家としてのキャリアを全投入する"三宅ジャズ"のルーツはバディ・リッチ。
極上の音に触れると、脳より先に身体が反応してしまい、興奮で鳥肌が立つという。

 超満員の客席、大拍手、大爆笑......。2月21日、22日にブルーノート東京で2日間4公演行われた三宅裕司 & Light Joke Jazz Orchestra"GSでswingしよう"は、17人編成のビッグバンドに笑いを取り入れた大エンタテインメントショーだった。

「とにかく僕はお客さんに楽しんでいただきたかった。腕利きが揃うビッグバンドの生音の素晴らしさを伝えたかった。でも僕は、音楽は素人でしょ。だから、ドラムスを叩かせてもらう代わりといってはナンですが、客席に喜んでいただける企画を考え抜きました。そうじゃないと申し訳ないですから」

 それが、10代の頃から大好きなGSをジャズアレンジで演奏する企画だった。

「GSのおなじみの曲をジャズにしたらどうなるのか─。楽しみでもあり、苦労もありましたけれど、トランペットの羽毛田耕士君が手掛けたアレンジが素晴らしくて。『亜麻色の髪の乙女』でサックス5本が最前列で鳴るところなんて、僕自身大好きです」

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 劇団スーパー・エキセントリック・シアターを牽引する演出家らしいスタンスでエンタテインメント性豊かなショーにのぞんだ三宅さんだが、ドラムスのスティックさばきでも客席を魅了した。

「ドラムスはものすごく練習を積みました。バンド全体のリハーサルは6回。あとは毎日毎日自宅で個人練習に励みました。なかなかうまくいかない曲はそこだけCDにコピーして聴きながら何度もね」

 三宅さんは明治大学在学中、7人編成のジャズバンドを組んで、ドラムスを叩いていた。その頃、バディ・リッチのレコードに出会う。仰天した。「このドラマーは世界一だ!」と感じた。友人から借りたLP『バディ・リッチ・デラックス』は、毎日毎日、盤が傷だらけになるまで聴きこんだ。

「圧倒的技術、オカズを入れるセンスのよさ、叩いている姿から感じるユーモア......。どれをとっても抜群です。無敵のドラマーでしょう。メンバーがたくさんいるビッグバンドなのに、バンド全体がバディ・リッチそのものに聴こえるほどです。なんといっても、聴いていて、ものすごく気持ちいい」

live photo
三宅裕司&Light Joke Jazz Orchestra "GSでswingしよう"
2014.2.21 fri. - 2.22 sat.

 バディ・リッチ、エラ・フィッツジェラルド、GS、桑田佳祐......など、三宅さんが心惹かれる音楽には、どんな共通点があるのだろう─。

「自分の感情をコントロールできないものほど興奮する音楽です。バディ・リッチのオカズもエラのスキャットも、すごいなー、と脳が思うより先に、身体に、うっ! っときて、さあーっと鳥肌が立つんですよ」

 55歳でジャズのビッグバンドを結成し、62歳でブルーノート東京公演を行った三宅さん。"音楽家"としての次のイメージは、三宅流ブライアン・セッツァー・オーケストラだという。

「大編成のビッグバンドをバックに、ギターを持って歌いたい。やれるかなあ。やれないかなあ。でも、いつか実現させたい夢です。その時はもちろん、僕のこれまでのキャリアで培ったものをすべて投入するステージ演出を行いますよ」

photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text  = Kazunori Kodate

三宅裕司(みやけ・ゆうじ)
1979年、劇団スーパー・エキセントリック・シアターを結成。ラジオのパーソナリティーで一躍人気者となり、ドラマやバラエティー番組で活躍。また、東京の軽演劇を継承すべく、「伊東四朗一座」、「熱海五郎一座」を結成。ビッグバンドの活動は'07年にスタート。

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