[インタビュー|OFFSTAGE]アル・ジャロウにインタビュー
亡き大切な友への思いを歌に込める。
アル・ジャロウの新作はジョージ・デュークへに捧ぐ作品。
4公演行われたショーの最後に歌った2曲も、
ジョージへの愛とリスペクトが込められていた。
「素晴らしい! ブルーノート東京のオーディエンスは本当に素晴らしい。まず、温かい。そして、音楽に夢中になってくれていることが、ステージからもよくわかります。一緒に歌いたい。手拍子をしたい。立ち上がって踊りたい。そう感じてくれていることがはっきりと伝わってきます。僕は幸せです」
11月に2日間4公演行われたアル・ジャロウのショー。初日、セカンド・ショーの直後、彼が興奮をそのまま持ち帰った楽屋でインタビューは行われた。アルは客席の女性からプレゼントされた一輪の深紅のバラを時おり愛おしそうに見つめながら話す。
「あの女性は毎公演観に来てくれます。だから、彼女が12歳の頃から、僕は知っていますよ(笑)。必ず最前列にいるからね。彼女が既婚者かどうかはわからないけれど、いつか子どもと一緒に来てくれたらとても嬉しい」
終演後の深夜にインタビューを行ったことには理由がある。ショーの前はステージだけに気持ちを集中させたいという本人の希望だったのだ。
「僕は目覚めてからショーが始まるまで、イメージトレーニングを行っています。いい歌を歌うぞ。全力を尽くすぞ。コンディションを維持するぞ。頭の中で念じます。ベストの自分をイメージするのです。人の頭の中でそうなりたい自分をリアルにイメージできなければ、実現もできませんから。もちろん体調管理もすごく大切です。日本に入る数日前から喉を休ませる。ショーの後もゆっくり喉を休ませる。楽器奏者と違い、プロのシンガーは、歌い過ぎないこと、のどに休息を与えることが大切です。今日もこの後、ホテルでZZZと熟睡しますよ。踊りに出かけたりはしません(笑)。ZZZと眠って、LaLaLaと発声練習して、喉にスプレーをSyu! Syu!と吹きかければ、明日もまたご機嫌なステージをお届けできるでしょう」
さて、ショーの最後、アルは「ルーフ・ガーデン」と「リーチ・フォー・イット」を歌った。ジョージ・デュークとの共作と、ジョージの代表曲の1つを続けたのだ。ピアニストで、コンポーザーで、プロデューサーで、シンガーでもあり、何度もブルーノート東京のステージにも立ったジョージは、2013年8月、悪性リンパ性白血病でこの世を去った。
「ジョージはこの100年でもっともすぐれた音楽家の1人です。そして、彼はとても繊細な人でした。彼とは、コーヒーを飲みながら、よく音楽や人生や友情のことなどを語り合いました。そして『ルーフ・ガーデン』を一緒に書いたのです。ジョージは、さまざまな音楽に心を開き、耳を傾ける大切さを多くの人に教えてくれました。目覚めてすぐにクラシックを聴いて、でも午後にはカントリーミュージックを楽しむ。彼の耳にはいつもさまざま音が聴こえていて、それを自分の音楽にとりこんでいた。だから彼自身、ジャンルの境界線なく音楽を作り続けることができたのです」
アルの新しいアルバム『マイ・オールド・フレンド』も、ジョージ・デュークに捧げた作品集だ。
「ダイアン・リーヴス、ボビー・ジェイムス、Dr.ジョンなど、ジョージを愛し、あらゆる意味で大切に思っている音楽家たちと一緒に録音しました。あのアルバムを作ってね、ジョージが僕たちに残してくれた一番大きなことがわかった。それは優しさです。音を通して彼の優しさをあらためて感じました」
アル・ジャロウ
2014 11.18 tue. - 11.19 wed.
- AL Jarreau(アル・ジャロウ)
- ウィスコンシン州ミルウォーキー出身。大学では心理学を学び、カウンセラーの仕事をしていた。60年代から本格的に歌い始め、75年にファースト・アルバムを発表。グラミー賞のジャズ、ポップ、R&Bの各ヴォーカル部門を獲得している唯一の歌手。
photography = Hiroyuki Matsukage
text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya