[インタビュー|OFFSTAGE]イヴァン・リンスにインタビュー
カリオカの音楽はインターナショナルだよ。
ラテン・グラミー賞受賞直後、リー・リトナーとともに
ブルーノート東京に出演したイヴァン・リンス。
ブラジル音楽への思いやプライドを話してくれた。
11月に一夜のみ行われたリー・リトナー&フレンズのショウ。クライマックスは、終盤、ステージ上手側にイヴァン・リンスが登場した時だった。客席のボルテージが一気に上がったのだ。というのも、この4日前、イヴァンは第16回ラテン・グラミー賞をベストMPBアルバム部門で受賞した。ステージと客席全員で受賞を祝い、グラスを合わせた。
「受賞作『América, Brasil』は丁寧に丁寧に作ったアルバムです。そのチームワーク、特にパートナーのマルコ・ブリトともに評価されたのはとてもうれしい。努力が報われました。手前みそになりますが、僕は僕の音楽が大好きです」
ショウの前、イヴァンは満面の笑みで語っていた。この夜、ショウ本編のラストナンバーは「ハーレクイン」。1985年にリーとデイヴ・グルーシンがイヴァンを招いて録音したアルバムのタイトル曲である。
リーとイヴァンを結びつけたのは大プロデューサー、クインシー・ジョーンズだった。
「リー・リトナーとデイヴ・グルーシンが君に会いたがっているから、連絡するように言ったよ」
イヴァンの家にクインシーから電話が入ったのだ。
「僕の自宅はリオ・デ・ジャネイロだけど、当時は1年のうちの3,4か月はロサンゼルスで過ごしていました。作曲家でギタリストのオスカー・カストロ・ネヴィスの家に滞在していてね。あの時、マリブのリーの家で演奏して、近くのスタジオで仕上げました。ギターはリー、キーボードはデイヴとドン・グルーシン、ベースはエイブラハム・ラボリエル、ドラムスはカルロス・ヴェガ。素晴らしいミュージシャンがそろっていて、録音は何の問題もなく進んだよ」
それから30年、イヴァンとリーは世界各国でコンスタントに共演している。
「今年はブラジルで1度、そしてブルーノート東京で1度、リーと一緒に演奏した。毎回楽しいよ」
イヴァンはブラジルとアメリカで活動しているが、それぞれの音楽がどう融合されているのだろう。
「率直に言うと、アメリカの影響は感じていない。僕はあくまでもブラジルの音楽家。カリオカ(リオ出身者)は人生や自然に強い愛情を抱いています。それが音楽に反映される。僕の音楽もそうです」
彼によると、ブラジルにはこんな言葉がある。
「ブラジル人であればあるほど、インターナショナルである」
この言葉にイヴァンは誇りを感じている。
「ブラジル音楽は人に情熱をもたらし、心に魔法をかけます。それが他の地にはない魅力なのです」
だから、イヴァンの曲は世界中でカバーされる。
「中でも、バーバラ・ストライサンドが歌った『アイランド』と『ラヴ・ダンス』、スティングの『シー・ワークス・ディス・アース』、エラ・フィッツジェラルドの『マダレナ』は好きです。特にバーバラのカバーはびっくりしました。彼女が僕の曲を歌うとは思ってもいなかったからね。しかも、翌年にもう1曲歌ってくれて。僕にとっては大変な喜びでした」
- IVAN LINS(イヴァン・リンス)
- 1945年、リオデジャネイロ生まれ。シンガー・ソングライターとしては60年代から活動。エリス・レジーナによる「マダレーナ」の大ヒット、80年代にはクインシー・ジョーンズやジョージ・ベンソンらがリンスをフィーチャーし世界的な人気を獲得した。
photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Nanci Lissa Miyagasako