[インタビュー|OFFSTAGE]ロイ・エアーズ
インスピレーションの交換が音を生む。
2月に3日間6公演行われたロイ・エアーズ。
恩師、ライオネル・ハンプトンへの思い、
ご機嫌なグルーヴが生まれる理由について語ってくれた。
ショウがスタートして3曲目、「エヴリィバディ・ラヴズ・ザ・サンシャイン」で、客席は総立ちになった。ロイ・エアーズの大ヒット曲だ。会場は皆両手を上げて、左右に振り、ロイと一緒に歌った。
「サンシャインは世界中のリスナーが僕の名前を知ってくれた最大のヒット曲だよ。この曲ができた時のことはよく憶えている。1975年、僕がLAのスタジオでレコーディングしていたら、サンシャインのあのリフがパラパラと降ってきたんだ。この曲のおかげで、僕はこうして忙しくライヴを行っている。今も世界各国をまわっていられる。中でも日本は僕にとってスペシャルだよ。もう10回以上来ているけれど、いつだって熱く迎えてくれるからね。サインも求められるけれど、ほとんどのファンはサンシャインのレコードジャケットをもってくるよ」
ロイのオーディエンスは年齢の幅が広い。オールドファンも、20代、30代のファンも、男性も、女性も、ステージに向かって叫び、踊っている。
「スヌープ・ドッグや2パックといったメジャーなMCたちがサンシャインをサンプリングしてくれた。彼らのおかげで若い人たちも聴いてくれている」
ロイがヴィブラフォン奏者の道を歩み始めた理由が、ライオネル・ハンプトンのライヴがきっかけだったことは、よく知られている。
「1945年、僕が5歳の時に、両親に連れられてライオネルのステージを観た。LAのパラマウント・シアターだった。その時、彼がステージの上から僕にマレットをくれたんだ。ものすごく感激したよ。あの時、僕の人生は決まったんだ。ライネルのヴィブラフォンは歌だ。彼はマレットで楽器を歌わせる。あの時代はPAの質がよくなかった。それでも、あんなに響かせることができた。すごいことだよ」
ロイが自分のヴィブラフォンを持ったのは17歳。「300ドルのセットを親が買ってくれた。毎日叩いたよ。昼も夜ね。深夜になってもやめなかった。家族からも近所の人たちからも、頼むからやめてくれ、と言われた。でも、言うことをきかなかった。そして、デビューして、子どもの頃からあこがれ続けたライオネルと共演できた。彼と同じ時代を生きて、同じ空気を吸うことができた。僕の誇りだ」
優れたヴィブラフォンのグルーヴは、ロイによると、アンサンブルから生まれるものだという。
「ほかのプレイヤーのことはわからないけれど、僕のグルーヴは共演者たちからのインスピレーションによって生まれている。チコ・ハミルトン、ハービー・ハンコック、ジョージ・ベンソン......。彼らと共演し、インプロビゼーションを行うことで、僕の演奏の質は向上してきたんだ。ステージやスタジオで、彼らが僕にアプローチし、僕も彼らに即座に音を返す。その積み重ねによって、オリジナリティが生まれる。大切なのは感性だよ。理屈で考えずに、自分が聴きたい音、自分が出したい音を正直に演奏することだと思う。すると、僕の演奏なのに、僕自身がびっくりするようなグルーヴが生まれる」
Photo by Tsuneo Koga
- Roy Ayers(ロイ・エアーズ)
- 1940年、ロサンゼルス生まれ。5歳のとき、ライオネル・ハンプトンとの出会いを機にヴィブラフォンを始める。ソウルやファンク、ジャズが融合したスタイルは、のちにクラブ・シーンからもリスペクトを集めた。
photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya