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[インタビュー|OFFSTAGE]ボビ・ハンフリーがデビュー当時を語る

[インタビュー|OFFSTAGE]ボビ・ハンフリーがデビュー当時を語る

今も演奏中に'70年代のNYの風景が見えます。

ブルーイの公演のゲストで登場した"レジェンド"ボビ・ハンフリー。
ハービー・マンから贈られた「カミン・バック・ホーム」では
今もデビュー当時の客席が瞼の裏にくっきりと見えるという。

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 4月に4日間8公演行われた、ブルーイ率いるシトラス・サン。彼に「ザ・レジェンド!」と紹介されたスペシャルゲストがフルート奏者のボビ・ハンフリーだった。1曲目は「ハロー」である。

「曲のタイトルのまま挨拶の気持ちで演奏したのが「ハロー」です。そして、2曲目の「カミン・ホーム・ベイビー」によって私は人生の扉を開いてきました。1971年にニューヨークのアポロシアターでデビューしたときに歌った私の大切な曲です」

アポロの公演はテキサス州ダラスからニューヨークへ来て、わずか1週間後のことだったという。

「ニューヨークでの3日目、デューク・エリントンのオーケストラで演奏しました。デュークのところでトランペットを吹いていた従兄弟を訪ねてね」

ボビはツアーバスに乗り込み直訴した。
「一緒にやらせてください。高校時代にあなたの音楽をずっと勉強をしていました」

この強引な売り込みに、デュークが折れた。
「会場は、ハドソン・リヴァーを挟んでニューヨークの反対岸、ニュージャージー州のスターリントン・ハウスというクラブでした」

 数日後には、セントラルパークのハービー・マンのコンサートを訪ねた。もちろん初対面である。
「私に演奏させてください!」
「これはアマチュアではなくて、プロのちゃんとしたコンサートなんだよ。わかるかい?」
「私はデューク・エリントンとも共演しました!」

 そんなやり取りをした夜、ハービーのステージにも強引に上がって演奏した。そのセントラルパークのライヴには2万人の観客が集まっていた。

「あのコンサートをきっかけにハービーからプレゼントされたのが「カミン・ホーム・ベイビー」です。そして、この曲を初めてステージで披露したのがアポロでした。シンシナティのクール・ジャズ・フェスティバルでも演奏しました。観客は5万人。ものすごい歓声でした。ブルーノート東京のステージでも、あの時の客席の風景がよみがえりました。瞼の裏に'70年代の客席の景色が見えると、心のスイッチが入って、高いテンションで演奏できます」

ニューヨークの3日目にエリントンと共演、1週間でハービーと共演、そして3週間後には名門レーベル、ブルーノートと契約した。偶然、ブルーノートが入っていたビルの前を通りかかり、訪ねると、名プロデューサーのジョージ・バトラーがいた。そこで、フルートを演奏したテープを聴かせたのだ。
「このテープ、ほんとうに君が演奏してるの?」
「はい」
「レコード、作りたい?」
「もちろん! そのためにニューヨークに来ました」

 こうして、その日に契約が決まった。
「私は6歳でフルートに出会いました。手にした時、フルートが"Hello, I'm here!"と話しかけてくれた気がしました。それからはずっと、フルートが私の人生を導いてくれています」

live photo

Photo by Takuo Sato

BOBBI HUMPHREY(ボビ・ハンフリー)
1950年、テキサス州生まれ。ニューヨークでヒューバート・ロウズに師事。『フルート・イン』をはじめ70年代のブルーノート・レーベルを彩るソウルフルな作品をリリースし続けた。レア・グルーヴ再評価の波にのり2004年にも来日している。

photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya

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