[インタビュー|OFFSTAGE]ジョン・ケイル
誇りもあり失望もあったヴェルヴェッツ
8月のショウでは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの
名曲「日曜日の朝」も歌い、観客を喜ばせたジョン・ケイルだが、
74歳、キャリア50年にしてなお新しい音楽を生み続けている。
「人生は旅だ。新しい音楽を追い求めて、旅を続けて、今、僕はここで歌い、演奏している」
8月に3日間6公演を行った2日目の開演前、ジョン・ケイルはインタビューに応じてくれた。
「そもそも僕が音楽を始めた動機は、生まれ育ったウェールズの、貧しい炭鉱の村を離れたかったことだった。僕の母親は高校の教師、父親は炭鉱夫でね。母方の祖母は自分の娘の炭鉱夫との結婚が許せなくて、僕たち親子にいつもつらく当たった。だから、僕は1日も早く村を出たかった。子ども時代の僕はラジオから流れる音楽に夢中でね。ニューヨークの放送局からロックやジャズを受信し、モスクワの放送局からクラシックを受信した。音楽をやることで、村を脱出できると信じていた。あの頃の僕はウェールズ語しかしゃべれなかったけれど、音楽は明らかに言葉の壁を越えて心に響いたからね。ラジオという小さな箱が10代の頃の僕には世界への扉で、故郷からの旅立ちがミュージシャンとしてのキャリアのスタートだったんだ」
ロンドンのゴールドスミス・カレッジで音楽を学びニューヨークへ渡ったジョンは、ルー・リードらとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成。今回のブルーノート東京のショウでも、1965年の名盤『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』の1曲目「日曜日の朝」を歌い客席を喜ばせた。
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでの実績はもちろん誇りだよ。でも、失望も大きかった。僕には常に音楽のアイディアがたくさんある。あの頃も、今もね。だけど、ヴェルヴェッツではその可能性を生かしきれなかった。ルーをはじめメンバーとの間で、会話がまったく成立しなかったからね。もっとレコードをつくれたし、パフォーマンスもできたはずなのに、あのバンドではまったくダメだった。だから、さらに音楽の旅を続けなくてはいけなくなった」
ニューヨークであらゆる音楽のアプローチを試みた末、ジョンは今、ロサンゼルスで若い世代のミュージシャンと共演して新しい可能性を探っている。
「僕には忍耐がないから、1つところにとどまることができない。同じ音楽をやり続けることが苦痛になる。でも、それは悪いことではない。とどまらないから、新しい仲間や新しいリスナーとの出会いが生まれている。LAに移ることによって新しい音楽をつくれるし、同時に離れた場所からニューヨークを見ることであらためて東海岸の音楽の魅力にも気づいた。だから、いつも新鮮な自分でいられる」
ブルーノート東京の客席には20代、30代のオーディエンスが目立った。ジョンによると、世界のどの街でも、若いリスナーが増えているそうだ。
「僕の演奏はほとんどがインプロビゼーションだ。それがきっと若いオーディエンスにとっては新鮮なんだ。彼らはとても熱心で、僕の曲を聴きこんで会場に来てくれる。ところが、僕はその夜のその会場の空気によってまったく新しいアプローチで演奏する。それを面白がってくれているんだよ」
Photo by Tsuneo Koga
- JOHN CALE(ジョン・ケイル)
- 1942年、ウェールズ生まれ。N.Y.に渡り'65年にルー・リードらと'60年代ロック・カルチャーのアイコン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成。脱退後はソロ、ブライアン・イーノらとの共演、プロデューサーとしての活躍を続ける。
photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya