[インタビュー|OFFSTAGE]細野晴臣
ロックから解き放たれた自由なショウ。
11月にワンナイトだけ行われた細野晴臣さんの公演は、
ロック、ラテン、ブギウギ......などさまざまな音楽を演奏。
ステージも客席もリラックスした空気の夜になった。
「僕たちは船で漂流しているようなバンドだよね。カントリーへ行ったり、ブギウギへ行ったり」
11月2日に一夜限定で行ったショウでの細野晴臣さんのMCだ。言葉の通り、1975年の人気曲「北京DUCK」から2013年の『Heavenly Music』収録曲まで、カントリー、ラテン、フォーク......など、バリエーション豊かなセットリストになった。
「僕はだいたい3年でバンドを解散してきました。比較的長く感じたYMOも実質6年です。でも、今のバンドは10年続いています。最長です。未体験ゾーンに入って、'40年代のブギ―とか、今までにできなかった音楽がやれるようになりました」
過去のさまざまなバンドでは、細野さんはロック中心のショウを行うことが多かった。
「プロになる前の一時期、僕は新宿のジャズ喫茶DUGや渋谷の百軒店のDIGに入り浸っていました。そういう店でよく聴いたのはモダンジャズでしたが、それらの店がなくなって(後に新宿に再オープンした)、僕の興味はロックに移りました。ボブ・ディラン、ザ・バンド......などです。浸りすぎるくらいにロックに浸りました。どんな音楽をやってもロックになってしまうほどです。ところが、今のバンドを10年続けて、ロック体質から少しずつ解放されてきた気がします。ショウではもちろんロックもやるけれど、ラテンやカントリーも演奏し歌っています」
この夜も、20世紀前半に活躍したポルトガル出身のブラジル人女性シンガー、カルメン・ミランダの曲のカヴァー、「South American Way」でスタート。
「毎公演1曲ずつ新しいレパートリーを演奏しています。今回は「South American Way」をやってみました。この曲はサンバだと思っていたけれど、元はアメリカ人が作詞作曲したスウィングだったんですね、そこがおもしろい。」
『Heavenly Music』からは「When I Paint My Masterpiece」「Cow Cow Boogie」などを演奏した。
「ボブ・ディランの「When I Paint My Masterpiece」は、ノーベル文学賞受賞で時の人でもあるので歌いました。忠実に和訳しています。ツアーでローマに寄って疲れちゃって......という歌詞です。初期のディランは「風に吹かれて」や「時代は変わる」などは社会性が強いけれど、徐々に私小説的な曲が増えます。一番面白かったのは'60年代後半。エレキをもってザ・バンドとともにロックを始めた時期はリアルタイムで聴き込みました。かつてのはっぴいえんどは、あのカリフォルニアのスタイルの影響です」
細野さんはオーディエンスとしてブルーノート東京の客席にも訪れている。
「ドクター・ジョンは義務だと思って観ています。'72年の『ガンボ』にすごく影響されたからです。ヴィンセント・ギャロも印象的でした。素人さが魅力。かっちり決め込んでいなくて、次はどんな音楽をやるんだろう、と期待させてくれました」
Photo by Yuka Yamaji
HARUOMI HOSONO
& The Eight Beat Combo
2016 11.2 wed.
- 細野晴臣(ほその・はるおみ)
- 1947年、東京生まれ。1970年〈はっぴいえんど〉、73年にはソロ活動と〈ティン・パン・アレー〉としても活動し78年に〈YMO〉を結成する。現在はワールドミュージック、アンビエントをはじめ、多岐に渡って作曲・プロデュースする。
photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate