[インタビュー|OFFSTAGE]リチャード・ボナ
音楽で物語とメッセージとハートを伝えたい。
歌うように奏でられるベース。美しく澄み切った声。
アフリカの伝統音楽で育ったリチャード・ボナは
「音楽家はストーリー・テラー」と心掛けている。
3月に3日間6公演、アルフレッド・ロドリゲス・トリオとともに来日したベーシストのリチャード・ボナ。ショウの後半にリチャードがステージに上がると、会場の空気ががらりと変わった。歌うような演奏。澄み切った声。会場にいる誰もが息をのんだ。
「9年前に僕はキューバを訪れ、現地のミュージシャンと共演した。その時にアルフレッドと出会った。ピアノには弦楽器と打楽器の要素があるよね。彼は打楽器としてのピアノの魅力を最大限発揮する演奏家だと思う。さすが打楽器の国のミュージシャンだ。コンガもボンゴもキューバの民族楽器だったからね。ブルーノート東京のショウでも、ピアノをパーカッションのように響かせているよ」
今回の客席には10代後半から20代が目立った。
「僕が『シーンズ・フロム・マイ・ライフ』でCDデビューしたのが1999年。当時のリスナーの子どもの世代が会場に来てくれているんだと思う。そして、もう1つ理由がある。2001年に僕はギタリストの中村善郎さんと「風がくれたメロディ」という曲を作った。この曲はNHKの子ども用番組『みんなのうた』のテーマ曲になったんだ。僕が日本語で歌ってね。当時テレビを観ていた子どもが大人になっても僕の音楽を聴きに集まってくれている」
'90年代、リチャードは超絶技巧のプレイによって"ジャコ・パストリアスの再来"と言われ、音楽シーンで注目された。ジョー・ザビヌルのツアーに参加し、ボブ・ジェームスのレコーディングでも圧倒的な技術のベースプレイを聴かせた。
「デビュー前は、ステージでもスタジオでもがんがん弾いていた。今もパフォーマンスとして技術を少しは披露する。若いリスナーたちが喜ぶからね。でも、本来音楽は、テクニックで聴かせるものではない。音楽はハートで聴かせるものだよ。ジョーやボブだけでなく、ハービー・ハンコックやマイケル・ブレッカーやジョージ・ベンソンなど、さまざまな音楽家との共演で学んできた。ハリー・べラフォンテの音楽監督をやった時、彼にステージ上がシールドで散らかっていたことを指摘された。音楽をやる準備ができていない、とね。音と向き合う姿勢も含めて音楽なんだとハリーに教えられた」
リチャードは子どもの頃から"音楽家=ストーリー・テラー"だと信じてもいる。
「僕はカメルーンのミンタという村で生まれ育った。何にも娯楽のないところだった。"グリオ"を知っているかい? 西アフリカの伝統伝達者のことだよ。彼らは、土地の英雄の逸話も、生きる教訓も、政局や経済の情報も音楽で伝える。文字がなかったころから続いている技術なんだ。そのグリオの延長線上に音楽もある。だから、僕がやる音楽もストーリー・テラーとしての要素が強い。僕はアフリカの文化や政治へのメッセージを音楽によって伝える。楽しい、うれしいという感情も、愛も、音楽で表現する。そんなメッセージを伝えるために音を選び抜き、美しく響かせようと努めている」
Photo by Tsuneo Koga
ALFREDO RODRIGUEZ TRIO
with RICHARD BONA
presented by QUINCY JONES PRODUCTIONS
2017 3.7 tue., 3.8 wed., 3.9 thu.
- RICHARD BONA(リチャード・ボナ)
- 1967年カメルーン生まれ。16歳でジャコ・パストリアスを聴いてベースを始める。22歳でパリに移住して以降、サリフ・ケイタやジョー・ザヴィヌルなどの大物と共演。近作『Heritage』は8枚目のソロ作となる。
photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya