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[インタビュー|OFFSTAGE]ヴァレリー・ジューン

[インタビュー|OFFSTAGE]ヴァレリー・ジューン

私の歌の先生は教会の1000人の礼拝者です。

ナチュラルな声で2日間4公演の客席を魅了した、米テネシー州出身の女性シンガー、ヴァレリー・ジューン。彼女の血肉となった音楽体験、インスパイアされた音楽家は?

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 11月に初来日したヴァレリー・ジューンの公演、その初日のファーストショーの前に、このインタビューを行った。サウンドチェック後、彼女は満面の笑みで、バックヤードに招き入れてくれた。

「日本のすばらしさはたくさんのミュージシャンから聞いていました。昨夜はさっそく居酒屋で食事をしました。おいしかった。でも、その前に渋谷の百貨店の地下で試食し過ぎて、もうお腹一杯。滞在中に温泉も体験してみたい」

 十分にリラックスしている様子だったが、開演が近づくと、シンガーモードにギアをシフトしていく。

「軽いダンスで体を温めてから、バンドの仲間と少し距離を置いて黙って集中していく。意識を動から一度静へと移行して、ステージに上がるのです」

 生まれは米テネシー州ジャクソン。育ちはメンフィス。ミュージシャンには絶好の環境で。ティナ・ターナーやカーラ・トーマスを聴いて育ったという。

「私の音楽の学校は教会です。子どもの頃から教会でゴスペルを歌っていました。礼拝には毎回500人くらいが集まります。私はそこにいるすべての人の歌を聴いて、それぞれの特徴を学びました。だから、私の歌の先生は1000人くらいいます」

 メンフィスで暮らすもっとも大きなアドバンテージの1つは住居費が安いことだと笑う。

「低コストで歌を続けられることは、音楽家にとってはとてもありがたいこと。メンフィスで地力をつけて、ヨーロッパで評価されてデビューするのがアメリカのミュージシャンの定番のコースです。私自身パリのショーでスカウトされて、ロンドンで契約して、アメリカに帰国してブレイクしました」

 その後、ノラ・ジョーンズやシャロン・ジョーンズとのツアーでシンガーとしてのスキルを磨いた。

「シャロンから学んだことは特に大きかった。私が一緒にツアーをしたとき、すでに彼女は末期がんでした。でも命が尽きようとしているとは思えないほどのエネルギーで、若い私がかなわないほど。いつも炎のようなステージでした。残念ながら、昨年この世を去りましたが、彼女の姿から学んだことは大きかった。シンガーとしての私の財産です」

 インタビューに対応する彼女は、女性らしいかわいい声。しかし、ステージに上がると別人のように高音域になり、ラウドに熱唱する。

「声質は自然に任せています。おそらく教会でさまざまな声を聴いて育った影響でしょう。私はいつもその時の気持ちのまま、自然なスタイルで歌っています。音楽シーンで、私はよくルーツミュージックとかアメリカーナにカテゴライズされています。でも、自分自身はそういったジャンル分けはまったく意識していません。ステージに上がったら、音楽が展開する方向へ身を任せて歌います。だから、ロックテイストになる夜もあれば、ソウルになる夜もあれば、カントリーになる夜もある。ありがたいことに、私のリスナーのかたがたも音楽をカテゴライズせずに、ありのままの私を楽しんでくれています」

live photo

Photo by Tsuneo Koga

VALERIE JUNE [ The EXP Series #14 ]
2017 11.16 thu., 11.17 fri.
VALERIE JUNE(ヴァレリー・ジューン)
1982年、テネシー州生まれ。オバマ前大統領やザ・ブラック・キーズも魅了、ジェイク・バグ等とのツアーを経てアルバム・デビュー。『ジ・オーダー・オブ・タイム』はノラ・ジョーンズも参加、プロデューサーにマット・マリネリ。

photography = Hiroyuki Matsukage interview & text = Kazunori Kodate interpretation = Keiko Yuyama

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