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[インタビュー|OFFSTAGE]パキート・デリベラ

[インタビュー|OFFSTAGE]パキート・デリベラ

一流の音楽家の演奏には多様性がある。

 パキート・デリベラはキューバでクラシックを学び、亡命したアメリカのニューヨークでジャズと出合った。さまざまな音楽をクロスして彩り豊かな音楽を演奏する。

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 6月に3日間6公演行われたパキート・デリベラ・クインテットの音楽は躍動していた。ソロパートを演奏する管楽器やピアノはもちろん、ドラムスもベースも、6つの楽器すべてが歌っていた

 「ピアニストは若手の精鋭で、あとの5人は25年も一緒に演奏している、僕にとっては家族のような存在。どんな曲をやっても息はぴったりだよ」

 1948年にキューバで生まれたサックスとフルー トを演奏するパキートは、クラシックのサックス奏者を父に持ち、12歳からハバナ音楽院で学んだ。'80年にアメリカに亡命し、ディ ジー・ガレスピーのビッグバン ドに参加。そんな経緯で、キューバ音楽、クラシック、ジャズ......と、さまざまなアプローチで演奏する。ブルーノート東京のステージでは、ラテンナンバーとともに、ショパンのノクターンやベートーヴェンのピアノソナタも披露した。

 「ベートーヴェンのピアノソナタは、"Jazz meets classic"というコンセプトの最新作『JAZZ-CLAZZ』のバージョンをやってみたんだ。アレンジはアレックス・ブラウンというピアニストで、彼に"ベートーヴェンがペルーで生まれたら?"というテーマでリクエストしたら、リズミカルなソナタになった」

 ジャンルの壁も、国籍の壁も、軽々と越えていく。「僕のルーツはあくまでもキューバ音楽。食事にたとえれば、メインディッシュだね。そしてアメリカに渡り、ジャズやブラジル音楽と出合った。僕にとっては前菜やデザート、あるいはスパイスだよ。キューバは音楽が盛んだけど、実は音楽をやる環境に恵まれてはいない。カストロもゲバラもまったく音楽的ではなかった。僕が15歳のころ、ガールフレンドの父親がゲバラと友達でね。彼に会った。そのとき、君は何で生活しているんだい?と訊かれた。ミュージシャンです、と答えた。すると、彼はさらに言った。僕が知りたいのは君の仕事が何かということだ、と。音楽を仕事とは思えなかったらしい。僕は今もゲバラが好きではない。でも、実際、音楽は仕事とは言えないのかもしれないね」

 パキートは亡命後に暮らしたニューヨークで身に着けた"音楽の多様性"でキャリアを開いていった。「ディジー、そしてトゥーツ・シールマンスとの出会いは僕の音楽の幅を広げた。トゥーツのハーモニカは、音色の美しさといい、正確さといい、素晴らしい。人間的にもユーモアに満ちていた」

多様な音楽性を持つパキートは今回の公演でも毎回違うセットリストを組んだ。しかも、多彩なゲストをステージに迎えて即興演奏で楽しませてくれた。「1日目のセカンドショーには、ホナミさんという日本人の女性パーカッショニストと演奏した。彼女はバンドのドラマーの知り合いでね。楽しかったよ。3日目には小曽根真さんがオルガンで参加してくれた。彼はピアニストであり、オルガンの名プレイヤーでもある。彼の父親がオルガニストだからね。小曽根さんの最大の魅力の1つも音楽の多様性だ。どんな音楽にも対応できる。一流の音楽家だね」

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Photo by Great The Kabukicho

PAQUITO D'RIVERA QUINTET
2018 6.28 - 6.30
PAQUITO D'RIVERA (パキート・デリベラ)
1948年生まれ。キューバのハバナ 出身。幼少よりクラシックに親しみ、'70年代にはラテン・ファンク・バンド、イラケレを結成。その後、現在までさまざまな活動を展開してきたラテン/ジャズ界の大御所プレイヤー。

photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Kazumi Someya

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