[30周年スペシャルインタビュー]ブルーイ(インコグニート)
My Favorite Things about Blue Note Tokyo
BLUEY [INCOGNITO]
結成から約40年、UK随一のジャズ・ファンク・バンドとして世界各国でライヴを行ってきたインコグニート。その総帥としてグループを率いてきたブルーイはブルーノート東京を「世界一だ」と称賛。そんな本クラブにおける思い出と魅力を語ってもらった。
インコグニートの来日公演が決まると、店内に「Everyday」('95年)が流れ始める。常連の方にとってはお馴染みだろう。"ブルちゃん"の愛称でも親しまれるジャン=ポール"ブルーイ"モーニック率いるインコグニートがブルーノート東京に初登場したのは'99年12月。それが今や彼らの日本におけるホームとも言える場所になった。
「もうそんなに経つんだね。初めてブルーノート東京のステージに立った時、ここが僕の日本のホームになるって確信したよ。39年間インコグニートとして世界を飛び回っているけど、お客さんのノリや音響の感じで"今日は良い日になるぞ!"って思えるのがここ。いろんなライヴでやってきたけど、そういう場所って滅多にないんだ」
インコグニートは'79年にスタートしたが、世界的に人気が出始めたのはトーキング・ラウドと契約した'90年代初頭。だが、本クラブへの登場は南青山・骨董通り沿いの旧店舗から現在の場所に移転して以降のことだ。
「それ以前の来日公演は別の会場でやっていたんだけど、その時に移転前の店舗で客としてジョイスを観たりしたよ。それも含めてブルーノート東京には多くの思い出があって、インコグニートだけでなく、いろんなゲストを連れてくることもできた。自分は同じことを繰り返したくない人間なので毎回違うことを提案するんだけど、ブルーノートでは変わったこともやらせてくれるし、クリエイティヴなプロセスにも協力してくれて、刺激をくれる。もちろんお客さんが聴きたい曲もやるけど、新しいものを教えていきたいという気持ちもあるからね。ブラジルのエジ・モッタも僕が日本に連れてきたけど、そうやって彼の日本における扉を僕が開いたという感覚を持てたのも嬉しい。ボビー・ハンフリーを改めて紹介することもできたしね」
ライヴ・ハウスやクラブの多さも含めて日本は音楽へのリスペクトがあることが嬉しいとも話すブルーイだが、ブルーノート東京だからこその魅力はどんな点だろう?
「ひとつは音響。ここがベストだと思っている。建物自体の響きというのがあって、そういう意味でここは音楽向きの建物なんだ。音の良さに関しては他のミュージシャンと話していても話題になる。耳に優しいんだ。この音の良さがあるから常連のお客さんがいるんじゃないかな? それに関してはスタッフの方も自覚していると思うけど、さらに良い仕事をすべくシステムを改良したり、スキルを上げようとしている。そういう部分でも世界一だと思っているんだ」
これまで最も印象に残っているのは、2011年、東日本大震災の直後に公演を行ったことだという。
「僕らはあの地震の直後に来日公演をやったグループのひとつで、周囲からは日本へ行くことを反対されたけど、ステージに立ってお客さんの顔を見て語りかけた瞬間、本当に来てよかったと思った。ああいう状況で皆が鬱屈した気分になっている時、音楽を楽しむことで心が解放されることもある。僕自身もショックで激しい感情の揺れを感じながらも、音楽だからこそできることを大好きな日本で出来たことが嬉しかった。それが日本のミュージシャンたちとのチャリティ・ソング「Love Will Find AWay」に繋がったしね。僕らはサーヴァント、音楽に仕える召使いなんだ」
インコグニート名義のライヴでは、ボブ・マーリーの「One Love」を流しながら退場するのもお約束となった。
「他の国でもやっているんだけど、あれは自分のアンセムである曲を皆と分かち合いたくて始めたんだ。夢や希望、人類への思い、これから生きていく上で伝えていきたい思いが詰まっている曲で、それがノーバリアで伝わる。それらをスピーチで伝えようとすると3時間かかるからね(笑)」
そして、ブルーイが日本人の奥様にプロポーズしたのも、このブルーノート東京だった。
「ジャズ・クラブというのはインプロヴァイゼーション(即興演奏)が行われる場所でもあるけど、それは演奏だけじゃなくて、いろいろな意味で、その時々に応じて柔軟に対処して、結果的にマジカルなことが起きるってことも意味する。僕はそれをブルーノート東京という特別な場所で実現したいと思って、自分の感情に任せてやってきたことがある。そのひとつとして、自分の大切な女性にステージ上でプロポーズをした。滅多に見せないプライヴェートな部分を公の場で見せることで、僕にとってブルーノート東京がいかに重要な場所であるかを示せたと思うんだ」
photography = Great The Kabukicho
interview & text = Tsuyoshi Hayashi
interpretation = Kazumi Someya