[インタビュー|OFFSTAGE]トニー・アレン
糸を織りなすように新しいリズムを生んできた。
アート・ブレイキーをトリビュートするアルバムを発表したドラマー、トニー・アレンがブルーノート東京に初出演。名曲の数々を西アフリカのリズムアプローチで聴かせた。
2017年にブルーノートレーベルから『A Tribute To Art Blakey And The Jazz Messengers』をリリースしたドラマー、トニー・アレンが1月にアルバムと同じテーマのショウを2日間4公演行った。名曲「チュニジアの夜」をはじめ、アート・ブレイキーの曲からインスパイアされて録音アルバム『The Sours』のナンバーからも演奏した。
「アート・ブレイキーに憧れてドラムスを叩くようになった10代のころは、彼の演奏を完全にコピーしていました。でも、やがて疑問が芽生えた。このままの演奏ではつまらなくはないか? とね。そこから、私のドラマーとしての歩みが始まりました」
トニーは西アフリカの国、ナイジェリアのラゴスで生まれ育ち、ドラマーとしての腕を磨いた。
「西アフリカで生まれ育ったことが私の音楽にとても強い影響を与えています。というのも、西アフリカには数えきれないほど多くの部族が暮らしていて、それぞれが伝統的なリズムを持ち、違う音楽のアプローチをするからです。さらに、ヨーロッパの音楽と融合して、"ハイライフ"と総称されるポピュラーミュージックも生まれました。さまざまな音楽、リズムを若いころから体験することで、私自身のオリジナリティが育ってきた。私の父親はナイジェリア人。母親はガーナ人です。2つの国からいろいろなリズムを体験するチャンスにも恵まれました。異なる素材の糸を織りなしてつくる布のように、私の音楽は変遷してきたのです」
このようなプロセスを経ているから、アートゆかりの曲を演奏しても、オーディエンスはトニーのオリジナルの響きを楽しむことができる。
「知っている曲でも、初めて聴く曲でも、私の頭の中では私だけの音楽として鳴ります。アメリカで生まれたジャズスタンダードを演奏したときには特に顕著でしょう。おそらく私の演奏は皆さんがよく知るリズムと少し違うはずです。音楽が一度体の中に入ると、私のリズムになってしまうからです。アート・ブレイキーのナンバーも、一度私の中に入り、時間の経過とともに、私だからこそのアンビエンスになっていると感じています」
ブルーノート東京のショウでは、若いミュージシャンを従えてのステージを展開した。
「彼らは皆賢い。譜面を渡すと、そこに書かれている内容からイマージネーションを広げて自分自身のアプローチをしてくれます。レコードを超えた演奏を聴かせてくれます。私はアート・ブレイキーのトリビュートの後、2018年にはイギリスのシンガーで音楽プロデューサーのデーモン・アルバーンとのコラボレーションも行いました。常に革新的なスタイルでキャリアを重ねていくスタイルを自負しています。私は停滞を好みません。ショウごと、アルバムごとに、新しい自分になっていきたい。ただし、それがいい音楽になっているかどうかは、オーディエンスやリスナーがジャッジするものだとは理解していますけれどね」
Photo by Great The Kabukicho
- TONY ALLEN SEXTET"
A Tribute To Art Blakey & The Jazz Messengers" - 2019 1.23 - 1.24
- TONY ALLEN(トニー・アレン)
- 1940年、ナイジェリア生まれ。アフロ・ビート誕生に深く関わった伝説のドラマー。アート・ブレイキーやマックス・ローチらに影響を受け、ジャズ・ドラム演奏を開始。'64年、フェラ・クティのバンドのオーディションに合格し、右腕として精力的に活動。
photography = Hiroyuki Matsukage
interview & text = Kazunori Kodate
interpretation = Keiko Yuyama